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No60丹後半島の中国人 その4 [日本の歴史]

イザナギは、死んだイザナミを慕って黄泉の国まで追いかけて行った事になっています。黄泉の国という考え方が、何時からあったか調べていませんが、古事記が書かれたときは、すでにあったようです。古事記には、はっきりと「黄泉国に追いゆきき」とありますから。
ただ、この様子が書かれた部分を読んでみますと、判るようで判りません。ぼんやりと天国、地獄といいますと、よく絵にも描かれているものを目にしますから、なんとなく想像し、納得しますが、黄泉国はよく判りません。黄泉国は死の世界のようなことが書いてありますが、死の世界にイザナギは行って帰ってきたことになります。
黄泉国は、死の世界ではなく、死期を感じ取った人が、黄泉国に行って死を迎えるのではないでしょうか?  
以前に、インドの田舎から、死を迎えるために、家族揃ってイタンダス川のほとりに行った家族の映像がありました。最高の死に方らしいですが、お金がかかるため、裕福な人しか実現しないとのことでした。映像の方は、一ヶ月経っても死ぬことが出来ず、お金が無くなって自宅に帰ったとありました。中国でも、お経を唱えながら死を迎える老人の姿がありました。この人の場合は、黄泉国に行くのではありませんが、死を迎えるという行為は、現在でも行われていることです。このように考えますと、イザナギとイザナミがどこからやって来たのかの推理に役立ちます。
 是までの話しは、どうでもいいのですが、その後が面白いのです。イザナギは、穢れたものを見たので、禊ぎ祓いをします。船戸神以下12人の神さんが、手伝うことになるのですが、禊をするには、きれいな水が必要です。このような都合の良い行為は、元々、日本人がもっていたものでしょうか? 塩で清めるのもあります。このような方法は、ユダヤ人にあるそうです。
廻りくどいことを二つ書きましたが、古事記の作者は、このような事が判る人たちだったのでしょう。そして、この部分を挿入して禊の場所で、アマテラスとスサノオとツクヨミの三人が生れたと書きました。勿論、本当に生れたのではないのですが、書いてある通りに読みますと、アマテラスは左目から生れ、右目からツクヨミ、鼻からスサノオがうまれたとありますから、これは神話だということになります。太安万侶は確かに、三人を登場さすために話しを作ったのですが、実際にあった話ですから、禊をした場所には、神社 が存在し、古事記に登場する底津綿津見神などが祭られています。アマテラスとスサノオとツクヨミの三人とイザナギ・イザナミの出会いがあったことが、古事記に書かれています。

解って頂けましたでしょうか?  言い換えますと、古事記に書かれていることは、神話で実在しなかったことと思われていますが、実際にあったことなのです。さて、そのイザナギはヒルゼン高原にある高天原を三人に任せて、滋賀県の近江八幡の多賀に移ります。現在多賀神社のある所ではありません。琵琶湖につきでたところに長命寺という寺がありますが、その近くです。白狄人であったイザナギの白と王さんから字をとり、白王という地名が残っています。
三人には、イザナギから役割が与えられるのですが、イザナギが多賀へ行くや否や、スサノオが高天原を乗っ取ろうとします。危険を感じたアマテラスは、天岩戸に避難します。
この時、すでに、ツクヨミに対して、京都の夜久野統治命令が下っています。何のためにということになります。この後、ずっと後になって、アマテラスが京都の福知山と大江町へ再三出掛けて、大江町で死亡しました。
福知山の北には、丹後半島があります。この地に漢人が進出しており、彼等の南下を防ぐために、ツクヨミとアマテラスは高天原から移動したことになります。
頃は紀元前180から170年のころと思われます。
 急ぎ足で、丹波・丹後の漢人のことを記しました。きっと、はじめて聴かれることだと思います。あまりにも、展開が速いので、なんのことか解らなかったと思います。もう一度、元に戻って、一つずつ解明していこうと思います。


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