SSブログ

No63 イザナギとイザナミはどこから来たか [日本の歴史]

トップに、イザナギとイザナミが登場です。この二人は、どうやら、男と女のようです。夫婦か兄弟ということになります。
古事記を読みますと、セックスの話題があって、その結果、次々と島が生まれていく様子が語られています。どうやら、イザナギとイザナミは二人して、島を征服していったようです。だから、夫婦でも兄弟でもいいのですが、イザナミが死んだときに、黄泉の国までイザナギが追いかけて行った話しがあります。ここは、夫婦愛ということにしたく思います。
二人は、最初に、水蛭子と淡島を生んだと書いてあります。この二つの島は、イザナギとイザナミにとって、特別の島であったようです。水蛭子がよく判りませんが、未熟児であったということだと思います。失敗作であったので、旭川に流しましたということでしょう。古事記を読んでもらいますと、この部分の少し前に、オノコロ島が出来たことが記されています。ヒルゼン高原にある中蒜山の中腹に作った宮城の名前です。いつ作ったか判りませんが、次は淡島です。淡島は淡路島のことです。淡路島には、伊弉諾神社があります。どうやら、ここは、イザナギとイザナミが最初に征服したというか、安らぎを得るところになったのではないでしょうか? ここを中心にしていろいろの場所が決められています。太安麻呂は、そのことを知らすために、古事記では「こも亦、子の例には入りさせれき」と書いて、特別ですよと忠告しました。
その後に生まれた島が次々古事記に記されますが、これらは、部下に征服を任せたのだと思います。次に、征服したところは、淡道の穂の狭別島とあります。この頃は、島であったと思われますが、現在は島根半島とよんでいるところです。この後は、島の名前とまたの名前が書いてあります。例えば、伊予国は愛比売です。愛比売はイザナギと同じ人種です。熊襲国は建日別。このように別の付く場合は、イザナギと人種が違う人に、その国の統治を任せたと思われます。
イザナギとイザナミは、日本の殆どを手中に収めたと思われます。
この頃は、スペインがインカ帝国を数ヶ月で滅ぼしたように、瞬く間に、日本を制圧したようです。それだけ、文化の差が大きかったのだと思われます。特に、武器の差が大きかったのだと思われます。
 紀元200年ころに、秦の始皇帝が中国を統一します。統一とは、言葉は良いですが、その逆に、統一された人がいっぱいいました。統一された人は、元の場所で住むことが出来れば良いですが、当時は、徹底的に殺されたようです。秦の始皇帝の力はどれほど大きいものであったかは、西安や北京に行ってみれば、説明が要りません。兵馬俑や万里の長城が語ってくれます。それだけ巨大な国でも、その後、直ぐに滅びます。漢民族にとって代わられます。北は、匈奴、月氏国、中山王国、朝鮮がそうです。結論を先に言いますと、朝鮮の北のほうからやって来たスサノオ、月氏国からきたツキヨミ、中山王国から来たイザナギとイザナミ、呉の国から来た天照大神らです。
逃げてきた人たちの歴史は、逃げるまえの土地には、歴史が残っていません。やっつけた人たちが、やられた人達の歴史など知っているわけがありません。そういう意味からいいます中国や朝鮮には、本当の歴史は残っていないのかもしれません。
その点、日本の歴史は、幸いなことに、古事記に辛うじて残されていました。古事記を抹殺しようと人たちによって、大部分は消されてしまっていますが、復元は可能です。
イザナギとイザナが古事記に書かれている話を少し書いてみました。しかし、日本を作っていったことは、書かれていますが、中山王国から来たとは、書かれていません。中国は、東、西、北へと侵略を繰り返しました。日本へはこなかったと思っている人が殆どですが、日本へもいち早く来ていましたが、侵略をしても意味がありませんでした。日本人が作った絹を持ち帰るだけでよかったのです。西へ侵略したときは、侵略された人達は、どこへ逃げたか調べていませんが、その他のところで、消滅して記録が残っている人たちは、日本へ来た可能性が高いです。中山王国は、北京の少し北にあった国ですが、全滅で消えてなくなった恐れがあります。
次回には、少し詳しく書いて見ます。まず、中山王国とは、どのような国から、始めます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。