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No141 複雑な銅製品の作る技術 [日本の歴史]

呉の人は、どのような技術で銅鏡をつくったか? お分かりですか? No140で紹介しました燭台のように複雑なものは、ロストワックス以外に考えられません。ロストは失う、ワックスはロウです。この技術はいつできたか判りませんが、最近のものだそうです。
中山王国は、今から2300年ほど前の国です。その頃にあった技術が、最近のものだというのも変ですが、すでにあった技術が一旦破壊されてしまって、2000年ほど経ってから、再び開発されたのだと思います。(この部分は間違っていましたということになる恐れはあります)
 果たして、ワックスが2300年も前にあったのかということになります。
ワックス(Wax)の語源は本来蜜蜂が自分の巣を作る時分泌するいわゆる蜜蝋に由来していますが、旧漢字の蝋の文字も一箇所に物を集めた物を意味する漢字の作りに虫偏の組見合わせで出来ています。中国に残る資料では、紀元前300年ぐらいとのことです。
 しかし、紀元前4200年頃のエジプ トの遺跡からミイラの保存に使用されていたのが発見されています。また紀元前1300年代のツタンカーメン王の墓から4個の燭台が発見されていますから、蝋燭があった証拠になります。ただ、蜜蝋であった証拠はありません。
中国は記録では新しいですが、ミツバチの巣からロウを除いたプロポリス健康食であることは、中国でも4000年前から知られ、利用されていたと言われますから、当然、蜜蝋はあったと思われます。この蜜蝋はなにに利用されたかと言いますと、当然ロウソクで、明りに利用されたと思います。そのロウソクには、彫刻や絵付けが行われたと思いますが、彫刻と銅製品がどうして結びつくことになったか想像することができません。このようなケースは、大概偶然の発見で出来ることが多いのでそうかもしれません。 
 さて、製造方法です。先ず、大きなロウの塊を造ります。作ろうと思う形を彫刻します。ロウは軟らかいですから、自由自在です。次に、粒子の細かい砂の中に、このロウの彫刻を入れます。粒子が細かくないと、全体に均一になりませんから、できるだけ粒子が細かい砂を使用します。丁寧に圧力をかけて(水分を加えないと固まらないかもしれません)硬くします。次に、ロウソクが溶けるまで熱を加えます。ロウがあった部分は空洞になります。次に、この空洞に銅を流し込みます。固まった所で、砂を崩します。
 この方法は実際にしてみないと上手くいくかどうか判りません。ロウの彫刻に砂をまぶすだけで,固まるかどうかです。均一になるかどうかです。次は流し込む銅は、さらさらの銅でないと均一に空洞に入っていきません。従いまして、砂と粘土を混ぜるとか、銅になにかを添加して銅が流れやすいようにするとか、いろいろあると思います。そこが技術力です。
 この方法のいいところは、鋳型が残らない理由になる所です。銅鐸の鋳型はいっぱい残っている。銅鏡の鋳型は残っていない。この二つのことから、銅鐸と銅鏡の造り方は違ったであろうと考えています。 


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