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歴史番外編 No23 奈良県の御県神社考察-2 [歴史番外編]

No22 に書きました意味は、ご理解いただけましたでしょうか? 御県神社の考察-をする前に、No21の資料を眺めていましたら、いくつか気になることがありました。
一つは、山辺御縣坐神社という名前の神社が二つあることです。 天理市別所町県谷 と天理市西井戸堂町にあります。 又、添御県坐神社が、やはり、奈良市歌姫町と奈良市三碓三丁目にあります。別に、同名の神社が二つあっても不思議なことはありません。熊野神社や春日神社は、3000以上全国にありますから。これらの多い神社の由緒を眺めていますと、和歌山の熊野神社から勧請たと書いてあります。私は勧請の意味が判らないのですが、皆さんはわかっておられるのでしょう。普通に考えるとおかしいと思います。和歌山で熊野大社を信仰中心とのしていた人が、青森や宮城県に行かれて、そこで和歌山から熊野神社を勧請したと考えますと、和歌山の近くほど、熊野神社が多いはずです。この点は調べてみようと思っていますが、自信ありません。少しだけ調べましたから、「イザナギ・イザナミを祀った神社」http://homepage1.nifty.com/o-mino/page155.html をご覧ください。まだまだ、調べ出したところですが、イザナギは全国的に、同時進行で日本制覇を目指したのではないかと推察しています。御県神社は、それこそ、まだ、始まったばかりですが、今のところ、奈良だけにあるのではないかと考えています。県という行政が考え出された以後にできたものですから、6~7世紀でしょうか? 
 またもや、脱線しましたが、朝廷が作った可能性が大きいです。となりますと、やはり、一つの県に一つで良いと思われます。
なにかヒントはないかと考えたのが、添御県坐神社です。この神社には、「坐」が付いています。考える前に、どう読むのか記しておきます。「そうのみあがたにいますじんじゃ」です。「坐」と言う字は、「います」とか「おわす」と読みます。大阪府茨木市に新屋坐天照御魂神社が三座あります。どのように読むのか判りませんが、私は「にいやにいますあまてるみたまじんじゃ」と読んでいます。この表記ですと、天照御魂がおられるところの地名が新屋ということになります。神社のある地名を表しています。同じように考えますと、山辺御縣にいます神社となります。山辺県にいます神社。「御」はこうなりますと、尊敬を表すことになります。もし、御県神社の鎮座地が山辺であるのであれば、山辺坐御縣神社という社名になるはずです。志貴坐御県神社は、新屋坐天照御魂神社と同じ表記になっています。「坐」のない高市御県神社や久米御県神社もありますから、じっくり眺めてください。
 添御県坐神社ですと、添(御)県にいます神社となりますと、神社はどのような神社であるかが判りませんから、本当は添坐御県神社であったように思われます。このように考えますと、添御県坐神社が二つある理由の説明がつきます。歌姫町は、奈良県の大和と京都府の山城との国境です。奈良市三碓三丁目は、鳥見と添上の境界にあります。鳥見か添上のどちらかが、天皇家の勢力が弱かったので、郡境に作ることになったと思われます。
 どの神社でも、25000分の1ぐらいの地図を見てもらいますと、集落がありますと、その真ん中に神社があります。特に、村の鎮守の役割をする神社ですと、当然そのようなります。寺院はだれも住んでいないところに存在しますが、神社は近くに必ず集落があります。No22に書きました7つの御県神社は、全て、平地にあります。
 山辺御縣坐神社と添御県坐神社は、必要があって、国・郡境に作られたと考えれば、
同名の神社が二つあっても不思議なことにならないと思われます。

このように見ますと、7つの御県神社は、朝廷の考えで作られたと思われますが、すべて、延喜式内社となっています。しかも大社ですから、天皇家の支配力は長く続かず、延喜式が完成したころには、すべて、藤原氏の支配を受けていたことになります。
 今度は、祭神を眺めようと思います。この件は次回にします。


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