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歴史番外編 No24 奈良県の御県神社考察-3 [歴史番外編]

各県神社における祭神だけに注目して考えてみようと思います。
もう一度、祭神を書き出します。
① 山辺御縣坐神社    
② 添御県坐神社     祭神 速須佐之男命 配祀 櫛稻田姫命、武乳速命
    武乳速命は津速玉命の御子で、添の御県地の祖神と言う
  添御縣坐神社(三碓) 奈良市三碓三丁目5ー8 
祭神 建速須佐之男命 武乳速之命 櫛稻田姫之命
③ 志貴坐御県神社   大己貴神
④ 葛城御県神社    劔根命 (合祀)天津日高日子番能瓊瓊杵命  
           劔根命は『新撰姓氏録』には、高御魂命の五世孫の劔根命の名が登場し、劔根命之後也として大和国神別に葛木忌寸、河内国神別に葛木直、和泉国神別の荒田直が出てくる。
⑤ 高市御県神社   天津彦根命,高皇産霊神
⑥ 十市御縣坐神社   豐受大神 配 市杵嶋姫命社伝では十市県主の祖大目を祭神
⑦ 久米御県神社  
祭神 高皇産霊命、大來目命、天櫛根命 
天櫛根命は、久米氏の祖神・遠祖? 大来目命は、古事記に出ている。
  
気の付いたことを書き記します。
① すべてしきない大社ですので、延喜式が完成した900年頃には、すべて、藤原氏の支配下にあり、祭神は、すべて、日本書紀に書かれている名前に変えられたはずですが、添御県坐神社の祭神は、古事記に書かれている速須佐之男命のままです。変えることが出来なかったとすれば、支配下にあっても、天皇の勢力が強かったと思われます。
② 大己貴神は大国主神の別名とされています。日本書紀に書かれている名前ですから、ここは、藤原氏の勢力が強くなりました。稲葉の白兎のことは、日本書紀にはかかれていません。古事記では、白兎を助けた後に、兄弟から苛められる話がのっており、その兄弟を追い払って、大国主になったことが、古事記に記されています。因幡白兎以前の名前が、大穴牟遅神であり、日本書紀における表記が大己貴神となります。
③ 出雲国造神賀詞http://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html
に「・・・高天の神王高御魂命の皇御孫命に、天下大八嶋國を・・・」と云う文があります。どのような人なのかは、じっくり検討していませんが、高天原の住民であったようです。高皇産霊神と仲間であったようです。高皇産霊神は日本書紀に書かれている神ですが、古事記では、高御産巣日神と書かれています。天孫降臨のときにも、登場する神で、古事記では別名高木神と書かれています。
④ 古事記では天津日子根命、日本書紀では天津彦根命と書かれている神です。よく理解できませんが、アマテラスとスサノオが誓約をするというわけのわからない部分があります。この部分は、太安万侶が苦心をしたところであると思っています。天照大神の八尺勾玉の五百箇の御統の珠から生まれた五柱の男神のうちの一人です。生んだのは、スサノオですが、天照大神の子供という表現が使われています。そして、古事記では、小さな字であたかも付け足しのように書かれていますが、河内国造・額田部湯坐連・茨城国造・大和田中直・山城国造・馬来田国造・道尻岐閇国造・周防国造・大和淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造らの祖神でありますよと念を押しています。
⑤ 豐受大神は、伊勢神宮の外宮の神さんです。この神は、伊勢神宮において、アマテラス神の食事の係りとして、呼び寄せられたとされていますが、豐受大神を祭る神社が、丹後半島に50ほどありますから、丹後と関係があることは確かですが、どのように関係あるのか、又の機会にしたく思います。

全部検討したわけではありませんが、古事記に登場する神が祭神になっています。日本書紀に書かれていることが、正しいとして歴史を解明しようとしますと、地名・神社などの謎は解明できないと思われます。勿論、日本書紀には正しい部分も沢山あるのですが、藤原氏にとって都合の悪いと思われる部分は、書き改めたと考えるのが無理がないように思えます。
結論、奈良県の県神社は、当初は天孫族の神社であり、しかも、その地域を治める人が先祖を祭ったと思われます。例えば、高御産巣日神の子孫に当る人たちが住んでいたのでしょう。古い神社であることも特徴だと思われます。


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