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歴史番外編 No25 縣についてのまとめ [歴史番外編]

正月2日に、宇治に初詣に行ったことを書こうと思っていましたが、最初に縣神社に参ったので、縣神社について調べているうちに、方々の県主神社、奈良の御縣神社と脱線したのまま走ってきました。宇治の縣神社は、縣主神社でもないし、奈良の御縣神社でもありませんから、又、別の働きをしていたのだと思われます。
No13において書きましたので、読んでいただけますと良いのですが、復習の意味でもう一度記しますと、祭神の木花開耶姫命は、大山祗神の娘といわれ、瓊々杵尊(ににぎのみこと・アマテラス大神の孫)の妃となり、その貞操を疑われて産屋に火をかけてその中で火闌降命(ほすそりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、火明命(ほあかりのみこと)らの神々を安産したと古事記に書かれています。
木花咲夜姫を祀るのが全国1300社ほどある浅間神社で、その中心は富士山の南側が富士宮市の富士山本宮浅間神社です。北側が山梨県一宮町の山梨浅間神社です。
 ついでに書いておきますと、福岡県田川郡添田町大字英彦山1に 英彦山神社があります。天照大神の御子・天忍骨尊(日の御子)を祀る神社です。アマテラス大神は、先ず、子供の天忍骨尊を九州に派遣し、西に高天原を築きました。ヒルゼン高原の高天原は住みづらかったので、倉吉に瓊々杵尊を降臨させます。そして、瓊々杵尊は妃の木花咲夜姫と、その姉を富士山周辺に派遣し、全国制覇を進めていきます。
 制覇するといいましても、制覇するだけの値打ちがないとするだけ無駄ということになります。お米が有り余るほど取れたとか、金銀銅鉄が取れたとかが考えられますが、宇治にも「志津・しず」の名前が川で残っています。一方浅間神社は、静岡県一帯に1300社ほどです。静岡県の静も「しず」です。しず地名は、すべて絹の生産に関係があります。
宇治の縣神社のところは、絹に関する重要な拠点であったことになります。
 御縣神社は、奈良に限られ、縣神社は、天孫族のものが直接治めていたのではないでしょうか? 縣主神社は、勿論縣を治めていた首長が祭られているのですが、天孫族とは限らないようです。宇治の縣神社は、このように元々、木花開耶姫命の一族に支配されていましたが、その内に藤原氏の支配を受けるようになり、その地に、中尊寺が建立されたのではと推察しています。
 縣神社は、良く判りませんので、簡単に書いて、宇治神社と宇治神社と中尊寺のことを書くつもりでしたが、又の機会に書くこととして、一応打ち切りにしたいと思います。
 
平行して、大好き日本シリーズを書いていますが、銅鐸に入り込んでしまうことになりました。すこし、援護射撃で熊野三山、そして、熊野神社のことについて書こうかなと思っています。これも何か手持ちの資料があるのかといいますと、何もありません。ということは、大したことは書けないと思いますが、書きながら考えようと思っています。


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