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歴史番外編No31 片岡王寺跡 [歴史番外編]

片岡神社の南に位置する。現在王寺小学校の校舎のある位置に、明治二十年頃まで寺院建築の基壇跡や礎石等が残っていたと伝えられ、地籍図や地形から、南向きの四天王寺式伽藍配置の古代寺院があったと見られている。
 法隆寺蔵の「金銅・僧徳聡等造像記」に「甲午年(持統八年694)」、「片罡王寺」と記され、「法隆寺伽藍縁起幷流記資材帳」(天平十八年746)には、推古六年(598)に聖徳太子が播磨国から布施された水田を法隆寺、中宮寺、片岡僧寺の三か所へ分賜の旨記事が見えるので、それに相当すると思われる。後年、正安四年(1302)に審盛の著した『放光寺古今縁起』(現存は嘉永三年1443実誉筆写本)によると塔・金堂・講堂の他にも、回廊・門・経蔵・鐘楼・僧坊・倉など数多くの建物があったが、平安時代の永承元(1046)年に雷火で金堂・回廊・東中門・南大門が焼失したとある。また、永保年中(1081~1084)に塔も朽損して三重に縮小したという。
 中世にも再興は進められたようだが、戦国の元亀三年(1572)に松永久秀の兵火で再び全焼し衰退する。
 江戸時代に現放光寺が禅寺として再興。飛鳥・白鳳・天平期の瓦が出土しているが、旧寺域全般の調査は行えていない。平成17年国道168号の拡幅工事に伴い小学校運動場東側の発掘調査を実施。中央伽藍を取り囲むと見られる遺構の一部が確認され、同じ軒瓦や鬼瓦が出土した。現在の「王寺」という地名はこの「片岡王寺」による。

小学校の運動場の南の位置に、国道168号線を跨ぐ歩道橋があります。この上に乗って眺めますと、片岡神社・達磨寺を一望できこの辺りの様子を理解しやすいです。
2005年1月20日の王寺町の記者向け資料は次の通りです。
http://www.kashikoken.jp/from-site/2004/kataokaoji/kataokaoji.html


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