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歴史番外編 No34 永福寺 [歴史番外編]

所在地、北葛城郡 王寺町 畠田7-1443  浄土宗。
行基の開基と伝えるが不詳。本尊釈迦如来坐像(寄木造、像高104.6cm。平安後期。後補)
慶安二年(1649)正波の中興。
地蔵菩薩立像は、別名子育地蔵とも呼ばれている。(像高96.2cm)は10世紀の平安中期の作とみえるが後補。
境内の凝灰岩製七重塔は総高3m。平安後期か鎌倉の作と見られるが風触破損著しく笠石は原型をとどめない。
江戸時代の伊勢参りが盛んになったころ、河内国分から名神山を超えて畠田へ出る道を送迎道(ひるめみち)といって往来が多かった。その道筋にあたる。観音堂前の石塔(元禄四年1691銘)に「ヒルメ村中」の造立と刻まれている。

 「明神山」には、立ち寄りませんでしたが、頂上には、太神宮として1830年(大日霊女尊(おおひるめノみこと)を祀り、四国阿波(徳島県)方面からも多くの人がお参りされ、大いに賑わい、昔は参道にナツメ茶屋やシンコ茶屋、オーコ茶屋などがあったそうです。書かれたものはどんどん失われていきますが、このようなところに歴史が刻み込まれていますから、石碑を見つけてください。


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