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No121高天原はヒルゼン高原だった—2 [日本大好き]

天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。

 上件五柱神者。別天神

「生意気にも、私なりの訳をしてみます」と書いて、自分で訳したものが、次の文章です。
天(テン)と地ができて初めのころ、高天原に、平定しながらやってきたのは、
天之御中主神(テンノミナカヌシ)です。その次にやってきたのは、高御産巣日神。そして、神産巣日神て゛した。この三人は、独身者で、そのうちに、身を隠しました。
国はわかくて、(季節は)浮いたあぶらのように、クラゲが漂うに、葦の芽が萌えあがるように見える時です。そのような時、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神 次にやってきたのは、天之常立神(テンノトコタチ)。この二人もまた、独神でした。そして、ここを去っていきました。

上に書きました五人の神は、天つ神とは、別の神さんです。
「別天つ神五柱」http://homepage1.nifty.com/o-mino/page196.html
のタイトルで書いています。 この文章は、古事記の序文にあたるところを省いて、普通神話と呼ばれている最初の文です。

はじめて読まれた方は、そのまま、読まれたと思います。以前に読まれた方は、もう、続きは読みたくないと思われたと思います。
リンク先にhttp://homepage1.nifty.com/o-mino/page196.html 行って読んで頂ければよいのですが、上の文だけでは、意味の解らない部分がありますので、私の屁理屈でも読んでください。
解説  生意気にもと書きましたように、訳本を書かれた倉野憲司氏と全然意味が違うようになりました。ポイントを記します。
① 「天」という字が一杯でてきます。「於高天原成神名」の天だけは、特別に、【訓高下天云阿麻下此】と注釈があります。「阿麻アマ」と読むようにと。ということは、他の「天」は、「アマ」と読まないで、「テン」と読むのでしょう。(と自分で説明しながら、「別天神」は、天つ神にしました)

② 「於高天原成神名」のなかに、「成」の漢字があります。倉野憲司氏は、この字を訳さずに、「成れる」と書いておられます。これではなんのことか判りません。
「成」の字は、もともと、「戈ホコ」の意味があり、戈を使って、やっつけなが、成し遂げることだと思われます。

③蒜山高原の麓で育たれました田村誠一氏は、著書の中で、春は、本当にこのような光景ですと書いておられます。高天原を蒜山だと田村氏は説明しておられます。
ここに書かれているとおり、高天原は葦が生えていたことが分かります。その葦が、同じ位置から見れば、萌えあがるようであり、少し上から見れば、ふぁふぁと波打っていたのだと思います。

④ 「天之常立神」に注意書きがあります。【訓常云登許訓立云多知】「常」を「トコ」と読み、「立」は「タチ」と読みなさいと。「天」はなにも書いてありません。書いて無いのであれば、普通に、「テン」と読むのでしょう。

⑤「上件五柱神者。別天神」の読みかたで、古事記は、流れが全く違うものに成ります。
倉野憲司氏は、「別天神」を「別(コト)天つ神」と読んでおられます。なんのことか判らなかったらいけないので、注をつけておられます。
  天つ神の中の特別な天つ神、と。
確かに、「別」という漢字は、特別の別ではありますが、刀で分ける意味があります。
天つ神と別なのだという意味になります。
もし、特別な神であれば、その後に出てきても良いのですが、出てきません。

上の五柱の神は、天つ神ではありません。この後にでてくる神が、天つ神なのですよ。
と、念を押したのだと思います。

⑥並獨神成坐而。獨神は、独身の神には違いないと思いますが、「独」という字には、牡という意味が一義にありますので、男の神だと思います。

如何でしたか?  私は「天地初發之時」の部分は、「昔むかし」の意味にとらえました。田村誠一氏は、「新天地を開発しようとして」とされています。私も、今ではこの方がいいように考えています。

このように解釈しましても、高天原はヒルゼン高原だったとは書いてありません。登場する神の名前を取り去りますと、「国はわかくて、(季節は)浮いたあぶらのように、クラゲが漂うに、葦の芽が萌えあがるように見える時です」と書かれていて、神々がやってきた季節が書いてあるだけです。葦の芽が萌えあがるときとは、春のことですが、葦の芽が萌えあがるときに、雪が残っているところは、限定されてきます。
 古事記は、その後、どんどん、記述が進みますが、どこにも、高天原はヒルゼン高原だとは書いてありません。
 もう少し先に進みますと、古事記には原文で次のように書かれています。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
今度は、私の翻訳ではなく、古事記翻訳本の訳です。
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。

お解りになりましたか? 私の読み方は、http://homepage1.nifty.com/o-mino/page249.html
に書きました。(国土の修理固成) 読まれなくても構いません。今は、なにをしているのかと言いますと、古事記の中から、高天原はヒルゼン高原だったことを知るためのヒントを見つけようとしています。この文章の中で、重要な言葉は、「天の沼矛」と「天の浮橋に立たして」です。「天の沼矛」は現在必要でありませんので、横に置きます。
「天の浮橋」が誰にもわからないのですが、田村氏は、伊邪那岐命、伊邪那美命が国を作ろうとして、立ったところが、浮いているように見える雲海のところだったと解釈されています。
 ということは、伊邪那岐命、伊邪那美命が住んでいたところは、雲海が眼下に見えるのですから、山の中腹より上であったと見ておられます。
 その後、古事記は、伊邪那岐命、伊邪那美命は、水蛭子を生んだと書いています。その山を蛭山と名づけています。
 蒜山は3つの山からなっていますが、真ん中の山を中蒜山といいます。この山の五合目のところに日留宮があります。宮ですから、お宮さんですが、実際には、小さな祠があるだけです。これがいつの時代からあるのか調べていませんが、日留宮と言われていますから、「ヒルミヤ」なのでしょう。
古事記には、 伊邪那岐命と伊邪那美命は、淤能碁呂島を作ったとあります。(数行手前の原文をみてください) 二人の神は、ここに淤能碁呂島をつくり、その跡に日留宮を作ったと思われます。
なぜ そのように思えるのかは、田村氏は、見事に説明しておられますが、その説明をしようとしますと、同じような調子でしまして、30日はかかると思われますので、止めにします。
 そして、少し、このまま、話を進めます。


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るん

日本本来の大和言葉は支那文化(外来語)により失われつつあった時代、オオノヤスマロは大変な苦労をして音訓を交えながらできるだけ正しい大和言葉を残そうとし、間違えやすい言葉には注を入れて明らかにしています。当時すでに高天原を《タカマノハラ》とか《タカマガハラ》と読む人がいたので、あえてこれは【訓高下天云阿麻下(交文)此】とはっきり注がいれてあります。【たかのしたをくんじてあまといふ しもこれにならふ】と。【高天原】の文字は【たかあまはら】と読まなければなりません。
理由は陰陽の言葉です。高天原は一切現象を生み出す本源の世界。マガハラでもマノハラでもなくアマハラなのです。大和言葉はすべて言霊なのです。ひとつひとつの響きをとても大切にしているので、文字化してしまうと本来の意味(響き)を失います。言葉は神なりきなのです。
by るん (2007-07-11 00:08) 

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