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No23 美作国の高野神社と中山神社 その2 [神社からさぐる歴史]

中山神社の氏子は、中国の中山国から逃げてきた人たちではないかと、誰にも支持されない考えを披露しました。名前だけではなく、鏡作命の前は、猿が神さんであったことが想像できること。その猿は、神社の奥に猿神社として、消されることなく、今でも祀られていること、次に写真があります。http://homepage2.nifty.com/hatazoku/mimasaka.htm
 この猿神社が、宇治拾遺物語 巻10-6の「吾妻人生贄をとゞむる事」に登場する大猿らしきことなど、断片的に述べてきました。だからと言って、中山神社の氏子は中国の中山国からやってきた人とは、立証できたことになりません。
 ただ、彼らがそうであれば、紀元前200年ころでも、製鉄が行われていたし、鏡がつくられていても何ら不思議ではありませんことがいえるだけのことです。

 これ以上に、私が興味を抱いたのは、中山神社で、鹿の生贄を使ってお祭りをしていたらしいということです。
 鹿を生贄に使ってお祭りをする例が、諏訪神社で行われているということを知り、見に行きたく思いました。お祭り当日に行くことはなかなかできませんので、こちらの都合の良い時にと、連休のH16.05.02から2泊3日で出かけました。旅館を取ろうとしますと、予約でいっぱいでとることはできません。インターネットで検索しているうちに、七年目ごとに行われる御柱祭の日にあたっていることが判りました。
 私は、祭りはいいから、諏訪大社の近くにある史料館に鹿の生贄の祭りが再現されているというので、それさえ見ることができればいいと思って、旅館が取れないままに、行くことに決めました。数日前に、あるホテルでキヤンセルがありましたので一日目は泊まるところを確保しましたが、二日目はなくて困りました。
 行ってみてびっくりです。お祭りと言うと京都のように観光客がいっぱいですが、観光客というよりは、全国に散らばっている諏訪の人たちが、全員帰ってきてお祭りに参加しているというのではないかと思えるほど、町中でのんびり、お祭りを楽しんでいる世界にどっぷり浸かってきました。

メインの神長官守矢史料館
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn015/jintyouk/jintyou1.html
は、お祭りのために、お休みで見ることはできませんでした。
昔は、鹿をたくさん(75頭)供えていましたが、最近は、二頭ぐらいと本で読みました。現在でも行われています。(?)
祭神の建御名方神は大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
 この神社は、また別の機会に書こうと思います。祭神の建御名方神は、大国主神の子供ですから、渡来人でないように思えますが、外国の神さんの匂いがいっぱいという感じがします。
 生きた動物を神に供えるという行為は、日本の神社には、あまりないように思われます。

 中山神社のことは、判らないなりにも、いろいろ書いてきました。問題は中山神社と関連があると思われるのに、高野神社は、一向に書くことがありません。そこで、全国に高野神社がどれほどあるか調べる気になりました。 
 高野神社のことは、次回にまわそうかと思います。


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