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NO48 「石棚古墳-120年前、日本考古学の父ガウランドが見た鹿谷の古墳-」  [歴史番外編]

上記のタイトルで、亀岡市文化資料館で第23回特別展が行われていましたので、訪れました。
備忘録も兼ねて、記しておきます。特殊な古墳の形ですから、いずれ、どこかで役立つと思っています。
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石棚古墳  亀岡市文化資料館 H19.12.09訪問  展示室よりの資料より
第23回特別展「石棚古墳-120年前、日本考古学の父ガウランドが見た鹿谷の古墳-」.
H19.11.03より12.09開催

京都府亀岡市稗田野町鹿谷に存在し、英国の大英博物館が出土遺物を所蔵する「石棚(いしだな)古墳」に関する資料を収集・展示。
http://shigakuorc.nc.otemae.ac.jp/st_chamber/kyoto/tannba/kuwata/5216rokuya1.pdf

約120年前に古墳の形状や出土品を描いた絵図や出土品を英国人の研究者ガウランドが同博物館に持ち帰りました。
ガウランドは、明治の初期から中期にかけて、造幣局の技師として日本へ招聘された人。英国人であるが、冶金学等の本職の傍ら、日本各地の古墳の調査にも携わった。
 確か、展示場の説明では、ガウランドは16年も日本のために、働き、冶金学や考古学を日本人に教えたとありました。
タイトルの石棚古墳は、古墳の奥に棚状の構造を有するもので、西日本のみに150基あまりしか分布しておらず、その半数近くが紀伊に、それに次いで北九州に分布し、大部分が瀬戸内海に分布します。
 京都・亀岡市においては、「鹿谷の古墳」を含めて7基が集中して分布、さらに亀岡周辺の篠山や旧有馬郡を含めると10基が分布しています。紀伊や北九州に次いで分布が多い地域と言えます。

 石棚古墳は、奥壁から水平に突き出す「石棚」と呼ばれる独特の構造を持つ横穴式石室が特徴。瀬戸内海沿岸や北部九州など西日本のみに約150基分布している。
 同町鹿谷の石棚古墳は、明治時代に日本各地の遺跡を訪れ写真などの資料を残した英国人造幣技師ウイリアム・ガウランドが1881年、調査した。石室内を撮影、出土した馬具や須恵器を大英博物館に持ち帰った。 その内の写真だけの展示になります。
 
①拝田古墳16号墳--  所在地、亀岡市千代川町拝田
 位置は、亀岡市の一番北で隣町の八木町との境界にある拝田古墳群の一つ。

拝田古墳16号墳は、全長約35mの前方後円墳であるが、この古墳の横穴石室は3.15×1.mの玄室と幅0.8mの羨道がとりつく両袖式のもので、石棚と高い天井を持っている。
http://www.interq.or.jp/japan/kofun/tofuken/kyouto/kameoka/haida16_2.jpg
http://kofun.fan.coocan.jp/tofuken/kyouto/kameoka/fr_city.htm

②小金岐古墳1号 76,77号墳
写真 http://kofun.fan.coocan.jp/tofuken/kyouto/kameoka/fr_city.htm
 写真 http://kofun.fan.coocan.jp/tofuken/kyouto/kameoka/fr_city.htm

③鹿谷古墳 亀岡市稗田野町, 円(不明), 両袖 石棚, 馬具・須恵器,
 ウランドが見た鹿谷の古墳
 http://shigakuorc.nc.otemae.ac.jp/st_chamber/kyoto/tannba/kuwata/5216rokuya1.pdf

④岩井山3号墳 篠山市小立
  http://www.eonet.ne.jp/~mizui/kofun2.htm
総数10基、急斜面に立地 横穴石室主体、3号で石棚
写真4枚 http://www.interq.or.jp/japan/kofun/tofuken/hyougo/sasayama/sasayama.htm

⑤東仲古墳 三田市末東の東仲古墳
 神戸新聞記事 http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/sanda04/1221hs19350.html
  写真   http://www2.atpages.jp/kofuntokaare/page1086.html

⑥加茂32号墳 三田市加茂。国道176号線から東側の山塊一帯に分布する三田市最大の群集墳。

⑦尼崎学園4号墳
 神戸市(有馬郡 円墳) 両袖 須恵器出土
 構造図
http://shigakuorc.nc.otemae.ac.jp/st_chamber/hyogo/settsu/arima/kobe/inariyamajinnjya.pdf

展示場では、各地の石棚古墳の出土地の写真と出土した須恵器蓋坏、勾玉、耳環、金環、帯金具、馬具、鶏埴輪など展示されていました。


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コメント 1

大和島根

いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興さ
れたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸には四隅突出墳丘墓が
作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 同じ出雲でもちょうど、西谷は出雲大社の近く、安来は伊邪那美尊の神陵地の近くなので神話とのかかわりにも興味が出ます。
by 大和島根 (2008-10-30 21:45) 

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