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No 279 元伊勢 「遠江国浜名宮」 [日本大好き]

元伊勢と呼ばれる神社は、あちこちにありますが、「遠江国浜名宮」は、伊勢から近いと言えば近いのですが、丹後の国から、どこか良い所はないかと、順番にやって来たにしますと、離れていると思いながらも、気になるので行ってきました。
 随分、古い話です。記録を探し求めるだけでも、随分掛りました。平成13年2月11日・12日と一泊で行ってます。

どこかに、この時のことが書いてあると思って探しましたが、見つかりませんでした。あの時は、カーナビもなく、旅行は大変であった記憶が残っているだけです。行った割には、殆ど、歴史的な成果がなかったらしく、旅行記のように書いたものが残っていました。これはこれで、記録ですので、そのまま、以下に記します。

日本は広いな!日本は古い国やな!
久し振りに 一泊の旅行をしてきました
    雪の心配をしながら、 満開の菜の花を眺めてきました。
2月11,12日の連休に一泊で、山陰地方の蹈鞴(製鉄)のあとを数箇所見学に行くつもりをしていました。
急に、今が冬である事に気づきました。私は大阪に住んでいますので、 中国自動車を利用する事になりますが、時によると、お隣の兵庫県からは、雪のためチェーンが必要になります。チェーンを持っていない、雪の上を走った事の無い私ですから、何も無理をすることはないと考え、中止にしました。暖かいところでは、和歌山、淡路島、四国がありますが、すべて、最近訪れています。
調べものをしたいところとしては、伊勢市・上野市・岐阜県本巣郡・静岡県引佐郡です。
上記の4箇所は、天候が悪ければ、どこも、雪に遭いそうなところを通過しなければなりません。鈴鹿・関ケ原が問題です。冬に走った事の無い私ですが、 やはり、チェーン無しでは、えらい目に遭うと想像し、買う事にしました。 チェーンを購入したのは、20年ぶりです。自動車部品の店に入ったことの無い私は、ただ、製品の多いことに驚き どれを選択したらよいかに困惑し、又、20年前の金額より随分高いことに、又もや驚きながら、購入。 帰宅後、実際に装着しますと、不器用な私でも、一分で装着。20年前、雪が降りしきる、真っ暗の中で、ジャッキーで車を持ち上げながら、 凍える手でチェーンを装着した事を思い出すと、これなら、値段の高いのも納得と言い聞かせながら、トランクに収めました。
名神を走行するうち、米原に近づくと雪に覆われた伊吹山(滋賀県ではもっとも高い山だと思いましたが)が気持ちの良いほどに美しく眺められます。 チェーンを持ってきて良かったと思いながら、走りますが、醒ケ井を過ぎるところから、道路が少し、融解剤?で白くなっているぐらいで、 雪は皆目無しでした。
三ケ日のインターで高速を降り、目指すは、「英多神社」という神社ですが、食事をとったお店で尋ねると、誰も知らないとのことでした。「御園」という地名があるので、その方向へ車を走らせる。途中。電話ボックスがあるので、電話帳で確認、記載されていない。 ということは、神主さんが居られない神社と判断する。 それなら、図書館に行って、本で調べようと図書館の電話番号を見ましたが、やはり、記載されていませんでした。(図書館は立派なものが出来たばかりのようで、電話帳にも掲載されていないようでした。休館日。)
次は、町役場へ行きましたが、日曜日で閉鎖。お隣消防所をたずねました。我ながらいいところへ来たと思っていました。火事の知らせがあれば、町内どこへでも行ける人です。5~6人居られた署員の方は、誰もご存知ありませんでした。 三人寄れば、文殊の知恵とはよく言ったもので、 次々アイデアが出まして、どうやら、「浜名総社神明宮」の中にあるのではないかということになりました。 と同時に、ある署員の方は、「初生衣神社」の神主さんに、電話をしてくださいました。話がややこしいので、直接私が受話器を取り、お話をお聞きすると解決でした。 
私が、目指していた神社以外に、「初生衣神社」も、「岡本八幡宮」という神社も関係あることを教わりました。「暫く、居ますから、来られたらいいですよ」と言ってもらって、いく事になりました。
この目指す、神社がどのようなものかを簡単に書いてみます。
私も詳しいことは、よく判りませんが、日本の初代天皇(ハツクニシラス天皇)は、二人おられて、はじめの天皇が、神武天皇です。今から、2660年前に奈良の橿原の地に、都を定め、「ヤマト建国」の第一歩を築いた事になっています。その後、天皇は綏靖・安寧と続き、 第10代は 崇神天皇ですが、やはり、「ハツクニシラス天皇」と言われています。
崇神天皇は紀元前30年頃の天皇と言う事になっていますが、 諸々のことから考えると、3世紀ごろではないかと言われています。 どちらにせよ、随分むかしのことになります。 崇神天皇のときに、宮中で祀られていた 皇祖神である「天照大神」を、奈良の笠縫村に祀ったと『日本書紀』という書物に書かれています。そのときの世話役として、「豊鍬入姫命」という人が選ばれています。 どうやら、笠縫村は、居心地が良くなかったと見え、3年後には、丹波国の吉佐宮に宮を移しています。 その後、「倭姫命ヤマトヒメノミコト」という人が、御守役として仕えながら、適当な場所を捜し求め、50数年後、今の伊勢神宮に宮を定めた事になっています。
伝説をも含め、29ケ所の地を訪れた事になっています。 その内の、一つが、「遠江国浜名宮」であり、「尾張国中島宮」です。 
前者が「英多神社」であり、一宮市の「酒見神社」であろうと言う事で、 実感を得るために、訪問する気になりました。
神社の話は、これぐらいにして、「初生衣神社」におよりして、神主さんのお話を少しだけ、お聞きしました。名刺を頂戴して、びっくりです。 「神」「上」さんというお名前の人は、どこでみたような気がしましたが、「神服部 博喜」 のお名前は、初めてでした。 ご本人も、日本で一人ですと言われ、 〔かんはとり〕とふり仮名が振られてありました。 神社のある辺りは、現在は〔岡本〕と言われていますが、ずっと、「ごんど」 (ごうどだったかな?)
漢字で書くと 「神戸」と書きます。 全国に一杯あります。 神社の租・庸・調を受け持つ人たちの事でもあり、その人たちが住んでいた土地に名前が残っています。前に書きました「御園」は、その人たちが作っていた野菜園のようなものでしょうか? 伊勢神宮を支えていたところは間違いありません。 
この日の宿は、渥美半島の先端の伊良湖に定め、車を走らせますと、田原という町の近くで、「神戸」という地名を見ました。また、宿の直ぐ近くに、東大寺の瓦を焼いたという窯跡を見てきました。伊勢ではなく、東大寺となると随分遠いですが、 瓦を焼いては、運んでいたのを想像すると 日本と言う国は、「古いなあ」と思えました。
伊良湖の風は、まだ冷たかったですが、菜の花の絨毯が、私を歓迎してくれました。
この一日で、 日頃、50キロも走らない私は、300キロを走り、それも、雪の心配をしながら、春の訪れを感じました。「日本は広いな」と感じた次第です。
翌日は、フェリーで知多半島の師崎(モロサキ)へ渡り、一宮へ。 目指す「酒見神社」は今伊勢という町にありました。ここにも、どう読むのか知りませんが、「神戸」という地名を認めました。
倭姫命が滞在されたところは 「元伊勢」と呼ばれています。伊勢神宮が定まるまで、伊勢のできるまでの元になったところと言う意味でしょうか? 「笠縫村」 以外は、作り話であるように書かれた書物もありますが、 「神戸」「御園」などの地名まで、創作する事は大変です。 これらの地名が記載されている書物まで、偽物を作るとなると膨大なものになります。 やはり、素直に、伝承されたものを受け入れればいいとおもいました。
帰宅後、 電子電話帳で調べました。
神服部というお名前は、一件だけでした。
服部さんは 35585人 。神さんは 3795人 。上さんは 1056人。 上見さんは 241人。
加美さんは 156人。 加美さんは 156人。 紙さんは 95人。 賀美さんは 27人。 香味さんは 26人。
嘉美さんは 15人。 嘉見さんは 49人。
このような数字を見ると、いかに、「神服部」というお名前が特別であるかと言う事がわかります。
長い事、お付き合い有難うございました。
最後に 伊良湖の海の幸は 美味しかったです。 一度、訪れられる事をお奨めします。
以上です。
歴史的な成果が無かったので、下手な旅行記を書いたようです。
下手でもなんでもいいですね。

久しぶりに、思い出しました。


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