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No820神武東征(269)  神武天皇(212)  大物主大神(40) [日本大好き]

本日のタイトルは、前回書きましたように、日吉津村はなくなって〔大物主大神〕にしました。大物主大神はご存じですか。ご存じない方は、古事記と日本書紀の翻訳本を買って、エンピツで〔大物主大神〕とかかれてある所に、薄く○印で囲ってください。
 そして、両書を読み比べながら、大物主大神はどのような人だったのかを考えてください。

どのような神さんも、人間で、素晴らしい人でしたから、皆から、尊敬され神として祀られる様になったと思っています。したがいまして、必ず、名前が付けられています。中には、どのように読むかさえ分らない神さんが居られますが、大物主大神ほど、失礼な名前は有りません。しかし、大物だったことは、皮肉なことに云い残したことになります。

 普通は、大物主大神と云えば、奈良の大神神社の祭神ということになっています。ということは、奈良の桜井の近くに、大物主大神が住んでいたから、大神神社に祀られることになった筈です。
 しかし、舞台が奈良では、記紀に書いてある大物主大神の活躍とは一致しません。記紀に書いてあることは、大物主大神が活躍した話は、伯耆国でもあり、大和国でもあるような記述になっています。
 稗田阿礼は、古事記を書くために、資料集めの旅行をしたらしいことは、前に書きました。
大物主大神は、どうやら、日吉津村の近くに居たらしい。居ただけではなく、そんな田舎でなにをしていたのか。
 大事なことをしていたから、大物主大神として名が残りました。其の事は、タイトルに大物主大神(40)と書いています。その内、日吉津村に21回も費やしました。その前に、19回書いていることになります。
 自分で書いておきながら、なにを書いたかいたのか忘れましたので、もう一度読んで復習しておきます。

その前に、『楽しい人生』http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2010/08/4-8ee7.html
を読んでください。これは、私の歴史の先生のような方である田村誠一氏の冊子、
第9話 中国人が書いた日本書紀17ぺージ目です。
 
タイトルが穏やかでありません。私の様に、日本書紀は間違ったことが多く、古事記に書いてあることが、正しいではなく、【中国人が書いた日本書紀】がタイトルになっています。

 ナガスネヒコのことは、ご存じですか。
 神武東征の際、神武天皇の兄を殺した人物です。
 ここの話は納得の行かないことばかりです。しかし、【中国人が書いた日本書紀】が正しいとなりますと、全て納得いくストーリーとなります。【中国人が書いた日本書紀】のような事を立証しようとしますと、このページだけ読んだだけでは、納得できません。
 どこからでも、結構です。読んでください。
 
 私が上手く説明出来ない部分を田村氏にお願いしようとしています。

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