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No826神武東征(275)  神武天皇(218)  大物主大神(46) 三輪神社の由緒(5) [日本大好き]

前回の続きです。もう一度、由緒の一部を記します。

当神社創立は崇神天皇の御宇、大和国大神神社の御分霊を勧請せるものなりと云ふ、蓋し崇神天皇七年諸国病流行盗賊蜂起の際、国家鎮護の神として大物主命幸魂奇魂を諸国に遷し祀り、大田田根子命をして大神を祭ら給ひしこと旧史に見ゆ、当社は則ち其の一なりと云ふ、

前回は、〔当神社創立は崇神天皇の御宇、大和国大神神社の御分霊を勧請せるものなりと云ふ〕だけを取上げました。
 今回は、〔崇神天皇七年諸国病流行盗賊蜂起の際、国家鎮護の神として大物主命幸魂奇魂を諸国に遷し祀り、大田田根子命をして大神を祭ら給ひしこと旧史に見ゆ、当社は則ち其の一なりと云ふ、〕の部分です。前回見ましたように、分祀をしたという神社は、全国に416社あるが、その中の一社だと書いてあります。

〔崇神天皇七年諸国病流行盗賊蜂起の際・・・・、と旧史に見ゆ、〕と書いてある旧史とは、何かは書いてありませんが、日本書紀の事だと思います。日本書紀には、崇神天皇五年諸国病流行は記されていますが、七年ではありません。では、古事記はどうかと言いますと、〔この天皇の御世に、役病多に起こりて、人民死にて尽きむとしき〕とあり、崇神天皇七年とは書いてありません。
 そのようなことはどうでも良いと思われるでしょうが、日本書紀に書かれてあることを採用したと云うことは、日本書紀に書いてあることが正しいと考えておられることになります。

 私は、古事記に書いてあることが、正しい様に考えています。太安万侶は、三輪神社辺りに、稗田阿礼がやって来た時の様子を次のように書いています。
 
「是以此二神降到出雲國伊那佐之小濱而【伊那佐三字以音】拔十掬劍。逆刺立千浪穗趺坐其劍前。」
 アマテラスがなんども、大国主に領地を明け渡す様に使者を派遣しますが、一向に解決しませんので、最後の二人を派遣します。二人は、浜に刀を突き刺して脅しを掛けたと書いています。これは、太安万侶の創作でしょう。

 太安万侶が、天武天皇から古事記を書くように言われたのが、700年前後です。アマテラスは、紀元前、150~180年頃の人ですから、このような話は伝えられていなかったと思います。

向山古墳群を眺めながら、海岸線を歩いてきた稗田阿礼は、ひょっとすると、丘の上にある上淀廃寺を眺めることが出来たかもしれません。壺甕山の麓は岩場の海岸線だったと思いますが、小さな浜辺に辿り着いた稗田阿礼は、坐って休憩しながら、風景を楽しんだことでしょう。岩場続きだった後の砂浜は、遠浅で、小波が打ち寄せていたのを見たのでしょう。その様な所に地名など有るわけがありません。
 このような旅の様子を耳にした太安万侶は、此の地を談判の場所に決めました。宮本武蔵の巌流島の様なものです。
 ここは、砂浜とはいえ、砂が少ない浜でしたので、〔否砂〕--〔伊那佐〕にしました。伊那佐の小さな浜です。
 このようなロマンチックな発想をしたのは、私ではなく、田村誠一と云う方です。

ただ、西伯郡大和村大字小波は、出雲國ではありません。

日本書紀では,どのように書いてあるかと言いますと、〔さて二柱の神は、出雲の五十田狭の小汀に降って・・・・〕と書いてあります。「イナサ」と〔イタサ〕の一字違いです。
 古事記では、〔伊那佐之小濱〕です。日本書紀では、この様に古事記と同じ名前や地名は、悉く、漢字を変えて書いています。
 こうしたことを考慮に入れますと。古事記に書かれている出雲國は、誰かが書き直したと考えたくなります。
 いやそうではなく、大国主命は、日本全国を遊説し、最後には、出雲を治めていたことになっています。アマテラスは、出雲を開放せよと云ったことになっています。これは、歴史家といわれる専門家に聞かれても、その様に返答される筈です。 そのような日本書紀に書いてあるからです。
 当然、剣を使った談判は、出雲国で行われた事になります。
  伊那佐という名前の浜は、出雲大社から少し、西へ海岸の方へ行きますと「稲佐」があります。
 日本書紀にも書かれ、古事記にも伊那佐と書かれ、〔稲佐〕という地名まで有るのですから、疑う余地はないことになります。
 疑ったのは、田村氏と私ぐらいになります。

国土地理院 地図サービス で、確かめてください。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352410&l=1324101


 この時の事は、
No462天孫降臨(35)  建御雷神と天鳥船神(4)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2008-10-29
に書いていますので、読んで頂ければと思います。

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コメント 6

中山佳久

古代出雲は大山から三瓶山です。伯耆と出雲が古代出雲です。
それを基本認識にしてください。
by 中山佳久 (2014-07-11 00:41) 

vetty

 ありがとうございました。出雲と伯耆は、一回だけ車で走りました。どれが大山か、どれが三瓶山か、記憶がありません。そちらへ10回ぐらい行きませんと、考えていることと、地理が一致しません。
鳥取県の神社資料
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page371.html  この事から、鳥取県は、須佐之男命と大山津見神の子孫がいまでも、住んで居られるのだなと思っています。 この辺りの事は、複雑すぎてお手上げです。

by vetty (2014-08-08 09:06) 

がおがお

先日、本を2冊購入(×2)させていただきました。私は鳥取県人ですが、考えは大正解と信じています。大山は、もともと大神山だったので、もっとリアルに大正解です。鳥取県の東部鳥取市にある霊石山には、アマテラス神話があって、東に移動して、氷ノ山を命名して、東に移動されたそうです。これもリアルに大正解です。湯梨浜町の倭文神社の北にある古墳群も、海を向いて作ってあって、ずっと疑問でしたが、謎が解決しました。
by がおがお (2014-10-06 21:54) 

vetty

賛同頂きまして、ありがとうございます。昔の昔のことですが、現在にも残っているように思えます。もう一度、鳥取、出雲に行きたいですが、遠いですね。 気にいっていただけるかどうか判りませんが、『新しい古事記の読み方』を出版しましたが、自費出版でしたから、そのまま、持っています。よろしかったら、ハガキをだしていただきましたら、無料でお送りします。高天原は、ヒルゼン高原にあったという出だしです。
by vetty (2014-10-09 18:24) 

がおがお

新しい古事記の読み方を送っていただけないでしょうか。
ゆうパックで入れものごと送ればよろしいですか。
だいぶ時間が経っていますが、お願いします。

by がおがお (2015-05-11 20:00) 

がおがお

本ありがとうございました。
代わりに、ヒルセン図書館からゲットしたものを追加で送りましたので、もしお持ちでなければ読んでいただけるとうれしいです。

いただいた本は大切に読ませていただきます。
正直ネットオークションにもでないし、自分にとってはとても大切なものをいただきました。
まさか、手に入るとは思っていなかったので、本当にうれしかったです。
ありがとうございました。
by がおがお (2015-06-11 22:21) 

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