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歴史各論  勾玉(6) 天の石屋戸 [日本史]

前回は、注意しませんと、どこで勾玉が登場するのか判らなくなるところです。
スサノオが高天原で、大暴れをするので、危険を感じたアマテラスは天の石屋戸に閉じこもって出てきません。
 それだけならいいですが、石屋戸の外は、真っ暗になりました。 この辺りが古事記には歴史が書いて無くて神話が書いてあると云われる由縁です。
 
 しかし、太安万侶は、天の石屋戸のような話を書くことによって、あり得ない話ですから、日本書紀を書いた人達を欺きました。わけの判らないことが古事記に書いてありますから、日本書紀の編集者は困りました。他の一書を、2つと3つに分けて書いて、全部で、5つの他の一書の所に、多くの記事を書いています。

 他の一書(第三)では、
①日神が天の岩屋に籠られたこと。
②中臣連の遠い先祖の興台産霎の子、天児屋命を遣わしてお祈りを指せた。
③天児屋命は、天の香山の榊を掘りとって、上の枝には鏡作り遠い先祖の天抜戸の子、石凝戸辺命が作った、八咫鏡を書けた。
④中の枝には玉作りの遠い先祖の伊弉諾尊の子、天明王命が作った八坂瓊の曲玉をかけ、

と書いてあり、八坂瓊の曲玉が登場します。
 
他の一書(第三)に書いてあることは、間違っているかも知れませんが、こういう資料もありますから、他の一書を掲載しておきますというのが、日本書紀の編纂の仕方です。
 この前には、 他の一書(第二)が書いてありますが、中臣連の遠い先祖の、天児屋命が作ったとは書いて無くて、上の枝に八坂瓊の五百個の御統をかけと書き、曲玉とは書いていません。 正しい歴史は、本文に書いてあることになっていますが、他の一書(第二)と他の一書(第三)を読んだ人は、
 藤原氏の遠い先祖の中臣氏が、八坂瓊の五百個の御統である曲玉を造って、お祈りをしたとなります。
 お分かりですか。
勾玉は、他の一書(第二)では、上の枝に書けました。他の一書(第三)には、中の枝にかけたことになっています。 
 大した違いではないと思いたいところですが、全く違います。
八坂瓊の五百個の御統と八坂瓊の曲玉の表現があります。であれば、勾玉と御統との関係はどうなるのでしょう。
 
 少しぐらい違っても、沢山書いてありますから、だれでも、他の一書に書いてあることも正しいと考えてしまいます。

ここで使われている勾玉は、天皇となんら関係ありません。お祈りをするための道具です。

日本書紀の編集者は、曲玉のことを書くことによって、中臣、天児屋命のことを皆に知らせようとしたことが判ります。
 そのようなことはありません。ここに書いてあるのが、正しいのであって、古事記に書いてあることは、偽物です。 と、殆どの方は思っておられることになります。

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