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歴史各論  勾玉(7) 三種の神器 [日本大好き]

勾玉のことが、古事記にこれほど書いてあるとは、思いもしませんでした。太安万侶は、書いておきたことは分りました。しかし、全て、紀元前の話です。
 
天皇が、皇位を受けつぐときに、 三種の神器と言うのが、確か、あったように思います。
これを次の天皇が受け取るという話です。
 初代天皇は、神武天皇ですから、皇位継承というルールがあったとしますと、2代天皇から言うことになります。
 これまで、見て来た勾玉の様子からは、三種の神器に加わることは、おかしなことのように思われます。
 そこで、話題はずれますが、今回は、三種の神器を眺めてみようと思います。

ウィキペディアの助けをお借りしたいと思います。
【三種の神器】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8 
これは、楽しいですよ。最後まで、全部読んでください。これを書かれた方は、随分、調べられたと思います。
 先ずは、最初の所を書きます。

三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのじんぎ)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたという鏡・剣・玉を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。 三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。 〔三種の神器〕は、もっていませんと、次の天皇にはなることが出来ないのか、三種の神器という言葉、どこかに書いてあるのか 
これでは、意味が解らないので、続けて書いておられます。もう少し、転載します。

天皇の践祚に際し、この神器の内、鏡と剣の形代及び勾玉を所持することが皇室の正統たる帝として皇位継承の際に代々伝えられている。但し過去には後鳥羽天皇など神器がない状態で即位した場合もあり、必ずしも即位の絶対条件ではなかった場合もある。 現在では八咫鏡は伊勢の神宮の皇大神宮に、天叢雲剣は熱田神宮に神体として奉斎され、八尺瓊勾玉は皇居の御所に安置されているとされている。 また皇居には、八咫鏡と天叢雲剣の形代があり、八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に、天叢雲剣の形代は八尺瓊勾玉とともに御所の剣璽の間に安置されているとされる。

〔安置されているとされる〕が、続いています。筆者は、噂を耳にしたことを書いておられます。
 そりゃ、仕方がありません。天皇陛下に直接お聞きするわけにはいきません。もし、今上天皇が、持っておられないとなりますと、偽物の天皇だということになります。 見せないで、持っていますと返事をされたとします。 天叢雲剣は、スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀です。こんなもの実在するわけがありませんから、無いのですが、何分、長い年月の間に、作られた可能性はあります。勿論、レプリカになるのですが、そのようなものは、見せるわけにはいきません。

 このように考えただけで、三種の神器など、あるわけがありません。

しかし、ウィキペディアの筆者は、真面目に取り組み、どんどん書いておられます。
古事記では天照大御神が天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」を神代として授けたと記されており、日本書紀には三種の神宝(神器)を授けた記事は無く、第一の一書に「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記している。

 三種の神器という言葉は、古事記にも日本書紀にも書いてありませんが、日本書紀に次の様に書いてあるのを、筆者は見付けられました。

第一の一書に「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」 ここは、日本書紀の編集者が、自分たちが考えている歴史と異なったことが、次のところに書いてありますよと、列挙した部分です。第五まで書いてあります。

日本書紀の編集者は、ニニギ命が、降臨したときのことを次の様に書いています。

 〔さて、高皇産霊尊は、真床追衾で、瓊々杵尊を包んで降らせられた
この文章の前後の文章を読んでください。五人のお供のことすら、書いてありません。

 このように、一つずつ、丁寧に、古事記と日本書紀をくらべながら、読んでいきますと、いっぱいの発見が出来ると思います。
所で、三種の神器に比定されている天叢雲剣は、神話の道具でしょうか。

私は、天叢雲剣は、ヤマタノオロチから出て来たのではないが、スサノオが、ならず者を退治したときに、その連中が持っていたので、取上げたのだと思っています。と言うことは、中国山地の中に、スサノオより素晴らしい刀を持っていた人々がいた話を、稗田阿礼がきいて来たのだと思います。 その後の、頭が八頭ある怪物の話は、太安万侶の創作です。
 もし、現存するのであれば、調べまして、若し、現在でも最高級の品であれば、日本で最高に素晴らしい天叢雲剣が、紀元前にあったことを、太安万侶は書き残したことになります。

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