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歴史各論  勾玉(54)  勾玉製造元(43)ヒスイ製勾玉(33) 車輸石 鍬形石 石釧 [日本大好き]

勾玉の事を調べますと、全国にある膨大な、しかも大型の前方後円墳が、どうして出来たかを知ることが出来るのではないかと、タイトルに歴史各論  勾玉(54) と書き始めまして、54回目になります。
 ガラス製勾玉が出土した古墳を書きならべましたら、
http://www21.atpages.jp/skeikas/page174.html

勾玉の鋳型が、出土しましたから、こうした古墳は、仲間であることが判ります。全体では、
ヒスイ製勾玉が多いので、別に、一覧表を作りました。
http://www21.atpages.jp/skeikas/page173.html

見事に、環濠遺跡が浮上しました。これらの遺跡は、すべて、中国人のものだと考えています。
 毎日、ヒスイ製勾玉ばかりを追いかけていましたら、勾玉が出土しない古墳が気になり出しました。この一覧表も作りました。

 勾玉が出土しなかった古墳 
http://www21.atpages.jp/skeikas/page178.html

まだ6つしか資料はありませんが、④西殿塚古墳---手白香皇女衾田陵を除きますと、沢山、三角縁神獣鏡が出土した古墳の名前が、並びました。
①椿井大塚山古墳
②黒塚古墳
③大和天神山古墳
 この3つの古墳は、備前の湯迫車塚古墳と関係があった古墳です。

上の3つよりも気になったのが、⑤櫛山古墳です。 勾玉が出土しませんでしたが、
石釧107、車輪石105、鍬形石23 が大量に出土しています。

そこで、車輸石 鍬形石 石釧 が出土した古墳の一覧表を作りました。
http://www21.atpages.jp/skeikas/page179.html

①島の山古墳を見た途端に、
No368 邑久郡の古墳
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-12-25 のことを思い出しました。 牛窓の古墳を見に行き、次は、丸山古墳へ行こうと、準備をしていたことを書いています。
 丸山古墳や天神山古墳は、中国人の古墳だなと考えていました。
 でも、体力がありませんから、もう行くことはできません。

車輸石 鍬形石 石釧を一杯ため込んだ人と、ヒスイ製勾玉をため込んだ人は、中国人でも、仲間ではなかったのだなと思っています。

次回は、車輸石 鍬形石 石釧 を溜めた人と、ヒスイ製勾玉を持っていた人と、どちらが古い人かを考えて見ようと思います。

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