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歴史各論 三角縁神獣鏡(112)魏志倭人伝(63) 邪馬壹国は、何所に(59)邪馬壹国(18) [三角縁神獣鏡]

タイトルと内容が離れています。邪馬壹国は、九州にあったというのが、九州の方の考えです。これは確定的ですが、どこも狭いのが欠点です。

どうして、九州かと云いますと、根拠は、魏志倭人伝に書いてあるからだと思います。書いてある通りに、各国を比定していきますと、どう無理を通しても、上手くいきません。
 魏志倭人伝には、各国の戸数が書いてあります。

歴史各論 三角縁神獣鏡(98) 魏志倭人伝(49) 邪馬壹国は、何所に(45)邪馬壹国(4)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2012-03-30
 邪馬壹国は、7万戸です。4代の人が一緒に住んでいたと考えていますが、もっと、少なくて、5人家族としても、35万人です。そのような大きな集落の跡は、見付かっていません。吉野ヶ里遺跡は、1万人も住んでいたでしょうか。

次に有力な候補地は、奈良盆地にあったという説です。遠すぎます。三角縁神獣鏡は、一杯出土したのに、何一つ解明されておらず、豪族が、朝廷から貰ったものと云うことになっています。
どこに書いたか忘れましたが、解明のヒントは、三角縁神獣鏡の同氾鏡が、離れたところから見つかっています。
 こした謎を解決するヒントは、すべて、魏志倭人伝に書いてあるような意見が多い様に思われます。
 魏志倭人伝には、卑弥呼が女王だったと書いてありますから、100%正しいことになっています。卑弥呼は、実在していましたが、女王ではありません。亡くなる前は、岡山と福知山を行き来していましたが、晩年は、魏の国の人に、囚われていて、248年に殺されたか、自殺をするように命じられたと推察しています。年齢は、100歳近かったと思います。

 卑弥呼が囚われていた福知山の事は、次回から、
http://skeikas.iza.ne.jp/blog/entry/2686294/ に書くつもりです。福知山天座で亡くなられた天照大御神の死後、ここでお祀りをしていたのが、卑弥呼(ヒミコは巫女さんでした)です。魏志倭人伝を書いた人は、邪馬台国(岡山県西大寺)と伊都国(兵庫県・福知山あたり)の間を行き来していた高官のことを邪馬台国の女王と理解していたのでしょう。
 
 卑弥呼の年令は、100歳近かったと書きましたのは、100歳前後の人は、一杯いたことを立証しようと現在書いています。卑弥呼の兄である崇神天皇は、日本書紀に拠りますと、168歳になりますが、これでは、古事記が残している諸々の事とは、一致しません。168歳
から60歳をひきますと、108歳になります。この数字が、崇神天皇の亡くなられた年になります。卑弥呼が亡くなられて、近い頃に亡くなられたはずです。殆どの方は、4~5世紀とされていますが、3~4世紀の間です。この頃から、大型の前方後円墳が、全国に作られる様になったと考えています。

 話題は、前回の記事を読んで頂きますと、ハニ族の棚田の水は、どの様にして確保されていたのか、書くつもりになっていましたが、あまりにも、タイトルと離れましたので、、言い訳を書きました。

 ハニ族の村は、棚田より上にあります。村の上には、山が頂上まであるだけです。NHKで放映された【天空の棚田に生きる】では、村より上に、川や貯水池がある様には、放映されていませんでした。

 これは、重要なことですので、又もや、次回に書きますが、どうして、水を確保したのか、想像してください。

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