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歴史各論 三角縁神獣鏡(113)魏志倭人伝(64) 邪馬壹国は、何所に(60)邪馬壹国(19) [三角縁神獣鏡]

棚田 20000枚を有するハニ族の人たちは、その棚田を満たす水をどのように確保したのかを書いて見ます。
 NHKで放映された【天空の棚田に生きる】に於いて解説していたのは、2つです。
①霧がかかる。
②山全体に、水分を多く含むことが出来る木が生えている。
 霧がかかると田に水分が回るという説明です。少し、信じ難いですね。確かに霧がかかると、霧は水分の塊ですから、その水分は、山全体水分に包まれます。
 私が経験したのは、但馬の竹田城に行ったときです。 歩いて登りますと、頂上は霧で1メートル先も見えませんでした。行くときは、夢中で気が付きませんでしたが、降りる時は、山は、雨の時と同様に、濡れていました。
 その水分は、下の土がたっぷり吸いこむことになります。その水分は、山の木々が取り込むことになります。 ブナではありませんが、ブナの仲間だと説明していました。
 木の種類で云いますと、腐植土になりやすい葉は落葉樹や、広葉樹です。日本の様に、日本全体が桧や杉で覆われていますと、腐植土の層が少なくて、少し雨が降っただけで、崖崩れが生じてしまうように思います。
 水分をたっぷり含んだ腐植土の水分は、ゆっくりと土に浸透していきます。その水は、村の辺りで、小規模の泉となって出てくるのだと思います。

 次に、竹田城の霧のかかった写真があります。
http://matome.naver.jp/odai/2132158077885611701/2132158159485631703
 竹田城に行った時に、この様な高い所に城を築いたのでは、飲み水に困っただろうと思いましたが、山全体が、水の貯蔵庫の役目をしていたと考えています。

昔は、日本の至る所で、ブナ林は見られたそうですが、現在では、東北の白山でしょうか。
ブナの北限の北海道の黒松内町 http://www.host.or.jp/user/bunacent/
に行った時に、ブナの木に耳を当てますと、なにか音が聞こえるような気がしました。水が流れる音でしょうか。??

 高天原は、宮崎県だと云われています。しかし、私はヒルゼン高原だと考えています。ここには、江戸時代までは、ブナ林が一杯あったそうです。標高は、〔天空の棚田〕ほど高くはありませんが、苗族の人たちが、襲われなくて、稲作が出来る所として選んだ所だと思います。低地は湿原が拡がりますから、毎日、ガスが発生して、5合目の所に、雲海が生じました。
 その様子を太安万侶は、古事記に 「天の浮橋」と書き残しました。そして、その浮橋の近くに、御所を設けました。
 ヒルゼン高原では、お米がとれなくて、撤退することになりましたが、田の付く地名は残っています。 地図で調べてください。
 
 この様な視点で、棚田をみますと、全国にある棚田は、ハニ族や苗族の人が、雲南省から日本へやって来たという田村氏の説は、検討するに値すると思います。

 紀元前、180~200年頃の事だと推理しています。

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