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歴史各論 三角縁神獣鏡(123)魏志倭人伝(74) 邪馬壹国は、何所に(70)邪馬壹国(29) [三角縁神獣鏡]

北朝鮮では、長生きをしている人が多いのではないかと推理をしてみました。
 北朝鮮からのテレビの映像では、キチガイじみた軍人の行進。大勢の人によるマスゲーム。
 あの人たちは、餓死する人達の食糧を特別に支給されているのだと考える人もありますが、軍服を脱げば、やせ細った人ばかりですが、立派な軍人だと思います。
 そのやせ細った軍人は、力は出せないのではと思いたくなりますが、少なくとも、私よりは力持ちだと思います。
 日本の2000年前の人たちと今の北朝鮮の人たちの間を埋めるものが、見付かりませんが、、中国のハニ族の人の血は、日本と北朝鮮の人のなかにも、流れているのではないかと勝手に想像しました。

 紀元前後(今から2000年ほど前)に生活していた人は、長命であったという仮説は、如何でしたか。

 神武天皇から、崇神天皇までの人達は、長生きだけではなく、4代ぐらいの家族が一緒に生活していたのではないかと考えています。そうすることによって、100年間に起こった天変地異には、必ず、適確な対応ができ、病気にもならなかったのではないかと推理しています。
 話題かわりますが、
 現在、前方後円墳、方墳、円墳。そこから、出土する三角縁神獣鏡。銅鐸や小銅鐸の出土状況を集め、保存しています。

 『歴史の不思議』http://www21.atpages.jp/skeikas/ に保管しています。これから、まだまだ、件数は増加しますから、物の見方は、変るかも知れませんが、静岡県が面白いです。
 ①銅鐸の出土数が多いです。その内、小銅鐸が沢山見つかっています。小銅鐸が見付かった遺跡では、共通の事が有ります。
 そのことから、小銅鐸と銅鐸は、全く別物であると考えています。

②静岡県の前方後円墳は、今の所、14件ですが、もっと、増えると思います。特徴は、三角縁神獣鏡が多いことです。これは、朝廷から受け取った鏡と云うことになっています、中国人が、中国の高官から受け取った許可書(絹の売買の)のようなものだと思っています。

 京都の椿井大塚山古墳、奈良の黒塚古墳、桜井茶臼山古墳 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
などは、許可書を貰って絹を関東から、九州や、日本海の村へ運んでいた人達ではないでしょうか。

 静岡の磐田市では、三角縁神獣鏡が出土しています。この人たちは、全員中国人です。
小銅鐸を所持していた人たちは、もっと、古い中国人で、福岡県から移住して来たのではないかと思われます。

③ 磐田市には、古墳が900基程あるらしいです。どうして、そんなに沢山有るのかと云いますと、古墳ですから。死んだ人が、それだけ多かったということです。病死の場合もありますが、古墳から武器が出土しておれば、戦死したと考えるべきでしょう。

④静岡では、天竜川を挟んで、南の方には、銅鐸が出土していますから、伊邪那岐神の子孫・天皇家の子孫。北の方は、三角縁神獣鏡が出土ですから、中国人の人達(魏の国の人)と勢力が分れるように思います。
 
④ところが、神社の祭神を眺めますと、紀元前の神が登場します。木花之佐久夜毘売が気になります。
 紀元前は、木花之佐久夜毘売、大山祇命が気になります。

人が収集したデーターは、いくら示されても、歴史は見えてきません。

ご自分で、収集してください。歴史が見えてくるはずです。

磐田市の900基の古墳は、是非集めて、公開してください。

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