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歴史各論 三角縁神獣鏡(125)魏志倭人伝(76) 邪馬壹国は、何所に(72)邪馬壹国(31) [三角縁神獣鏡]

初代の神武天皇から崇神天皇までの天皇は、長生きし過ぎのため、存在すら信じて貰えず、日本史から、除外されていますので、長いこと掛って、100才前後の人は、いっぱい居られたことを確認し、其れより、以前の瓊々杵命や大山祇命なども実在したことを確かめようと思っています。
 その前に、新しい発見の報道がありましたので、書いておきます。

国内最古 戸籍関連の木簡見つかる 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120613/t10015790451000.html

短いですから、全文を載せておきます。

福岡県太宰府市の遺跡から、国内で最も古い戸籍に関わる公文書とみられる7世紀末の木簡が見つかり、当時の戸籍制度や中央集権国家の成り立ちを知る手がかりになるとして注目されています。
見つかったのは、長さ30センチ余りの木簡で、福岡県太宰府市にある国分松本遺跡の7世紀後半から8世紀にかけての地層で、ことし4月に発掘されました。
太宰府市教育委員会などが、赤外線を使った特殊な装置で木簡の文字を読み取ったところ、現在の福岡県糸島市周辺に住んでいた家族少なくとも16人の名前が、身分や続柄など詳細な情報とともに書かれていることが分かりました。
使われている文字や人物の位などから、木簡は7世紀末のもので、転入や転出を示す文字があることから「計帳」という当時の住民台帳の元になった公文書とみられています。
日本の古代史が専門で九州大学人文科学研究院の坂上康俊教授は「戸籍に関わる史料としては国内では最も古いものだ。当時の朝廷がどのようにして人々を掌握し、中央集権国家になったかという過程を知るうえで手がかりとなる重要な史料だ」と話しています。

この木簡が見付かった年代は、天武天皇が、壬申の乱で勝った頃の事です。 この時は、

「当時の朝廷がどのようにして人々を掌握し、中央集権国家になった」と書いてありますが、福岡まで、掌握するどころでなかったと思います。 戦には、勝ったものの、周りは、中国人の敵だらけだったと思います。
国分松本遺跡は 大化の改新以後、福岡一体を掌握していた中国人が、中国式の「戸籍」を作って、この地を治めていたのではないかと考えています。
 そんな歴史は、お話にならないと叱られるかも知れませんが、今回は、そのことを述べるのではなくて、「家族少なくとも16人の名前が、身分や続柄など詳細な情報とともに書かれている」の所をご覧ください。

 家族少なくとも16人の名前と書いてありますが、他の新聞記事に拠りますと、別の名前もありますが、16人の人が、家族のようにして住んでいたとしますと、大家族となり、長老が居たと思われます。
 以前に書きましたように、100才近い長老がいますと、何事でも解決できたと考えています。病気にしても、ガンなどは無かったでしょう。糖尿病、心臓病も無かったと思います。
あったにしても、その時は、早く死ぬことになったと思われます。



 国内最古 戸籍関連の木簡の新聞記事の事は、別に、「楽しい人生」に書くつもりでいます。


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