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歴史各論 西の高天原と東の高天原 [三角縁神獣鏡]

魏志倭人伝の謎解き Ⅲ
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/06/post-d834.html
 を読んで頂けましたか。

 終わりの部分に、
ここからは私の独り言ですと書いて、次のような文章が有ります。 
 魏志倭人伝は、後漢が滅んだ後に魏が日本列島の征服を企てていた証拠の情報記事であり、単に邪馬壹国を目的地とした旅行記事ではないと考えます。 日本列島にはまず苗族が気候寒冷化によりBC1000年ごろに移動してきました(初期弥生人)。 続いて晋、前漢の中国統一により追われた人々が、BC200年頃に水稲、養蚕技術を携えてやって来ました(中期弥生人)。

 わたしは、苗族がやって来たのは、紀元前200年頃と考えていましたが、田村邦夫氏は、
BC1000年ごろに移動してきたと書いておられます。なにか、根拠がおありと思いますが、なくても良いのです。紀元前の事など、いくら考古学が進歩しようが、科学が発達しようが、判らないと思います。

 一つの例を挙げますと、尾崎前山遺跡が有ります。あまり耳慣れない遺跡です。
【茨城 尾崎前山遺跡】 http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/tiba_005.htm
 
このブログには、次の文章が有ります。
「この遺跡は縄文・弥生・平安の複合遺跡で、台地から製鉄民の居住跡・鍛冶が確認されており、創業は8初めから9世紀といわれ、「堅型炉」で自然風を利用していたものと考えられている」
 遺跡全体は、縄文・弥生・平安と長い期間、使われていた集落です。しかし、ここにある製鉄は、8初めから9世紀の遺跡であると書いておられます。この方は、鉄の成分にご興味がありました。そこで、尾崎前山遺跡の事は、次のように書かれました。

①縄文・弥生・平安と長い期間
②創業は8初めから9世紀

しかし、その根拠は書いておられません。
 この二つのことに疑問を持たれた、田村誠一氏は自分の著書の中で、記事を書いておられますので、私が、又、其れを記事にしました。

日本史 但馬の歴史(111) 茶すり山古墳(111) 古墳時代と鉄(10)尾崎前山遺跡(2)

http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html?sp
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