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東の高天原(29) 西の高天原(22)磐田原台地(20) 国分寺(15) 歴史各論 [高天原]

最近、書いているタイトルに「歴史各論」の名前を付けています。プロの方は、こんなものが各論と云えるかと、一笑に付されると思います。論文にもなっていないと。
 論文など書いたことのない私ですが、物の考え方として、古代の歴史を探るとき、歴史は全体の流れのなかで掴もうと模索してきましたが、2000年前の事など書いたものは、何処を探してもありません。
 そのようなことは無い、中国にはあると思っておられる方はいっぱい居られます。
特に、日本人は、中国の文献は好きなようです。
 その中でも、「魏志倭人伝」はお好きで、その中でも、「卑弥呼」の事は、100%好きのようです。
 そこには、卑弥呼のことは書いてあって、(詳しくない)卑弥呼は邪馬台国の女王で、卑弥呼は城壁(?) で囲まれた邪馬台国に住んでいたと書いてあります。

 これを信じて、考古学という部分から、歴史解明をしておられるのが、纒向学(まきむくがく)研究センター(奈良県)の寺沢薫所長です。寺沢氏は、奈良県桜井市の纏向で、卑弥呼の舘跡を見つけられました。屋敷だけですから、まだ、楼閣などは見付かっていませんが、近い将来に見付かるのでしょう。
 
 前回、私は歴史を解明するヒントを記しました。その一番に、①古事記と日本書紀と書きました。この書物は、読まない日は無い位に、ちらっとでも、目を通してきましたが、何時まで経っても、わけの判らないところが一杯です。
 そのようなものに書いてあることを元にして、いくら考えても、解決しないなと最近は、考えています。
 その試みとして、タイトルに「東の高天原」の言葉を付け加えて、誰も耳にしたことのない「東の高天原」があったのだと言うつもりになっています。
 古墳時代には、大和政権があったことになっていますが、大和政権はどのような政治を行っていたと明確に書いた論文はありません。
 大和政権の事は判らないが、、磐田市あたりを中心にして、喧嘩をしながら、群馬県や長野県から、絹を運んでいた人たちがいて、その人たちの結果は、膨大な古墳でしか残っていないという様子を見て頂いています。

 混乱の連続の時代に、ここ東の高天原でも、国分寺という名の巨大建築が出現したことは判ってきましたが、考古学者の方は、その様子を、普通の人に、見せることは、出来ていません。
 磐田市にあった国分寺という歴史の中の部分だけに目を向けて、東の高天原を浮かびあがらせようと思っていますが、磐田市の国分寺の事は、なにも判っていません。
 これから書こうと思っている本文より、前置きが長くなりましたが、タイトルの
歴史各論を使っている言分けをかいてきました。

 国分寺は、741年に聖武天皇が、造るように云われてできたことになっていますが、本当は、違うのではないかと考えながら、模索しています。
 仏教の力をかりて、世の中を立て直おそうと試みられたのは、天武天皇ではないかと・・・・。
その志は、毒殺と思われる手法によって、絶たれました。受け継がられた持統天皇の苦悩は、その後の奇怪な行動から読み取れるのではないかと思っています。
 
 どこから読み取るかと云いますと、①古事記と日本書紀 になります。
 そのまま、読んだのでは、間違った情報が邪魔をして、正しい歴史を知ることはできないと思います。
 
 古事記は、混乱した世の中を立て直したい天武天皇によって、発案され、天皇崩御の後に、完成しています。
 この頃、略、完成していた中国系の人たちの日本征服は、日本書紀完成をもって、終結したと考えています。720年の事です。
 この同じ、年に藤原不比等は、亡くなっています。

古事記が完成した712年から720年の間に、どれほどの事が行われたかという歴史の流れを考えた方は居られません。
 これからは、こうした各論の部分を少しずつ、明らかにすることによって、歴史を解明するしかない様に思います。

 問題の和泉国の国分寺が、どうして、完成しなかったかです。

 国分寺どころか、造った和泉国すら、危うくなりました。

和泉国を河内国から分離しようとしたのは、藤原氏ではなかったかと考えますと、理由らしきものが見えてくるのではないかと思っています。

長くなりましたので、ヒントだけ掲げます。

【歴史の不思議】http://www21.atpages.jp/skeikas/ にいろいろの資料を保管していますが、ここに、全国の式内社を未完成ですが、掲載しています。
 どの国にでも、良いですから、ご覧ください。伯耆と丹波でも。そして、和泉国をご覧ください。
 式内社は、当時の朝廷から信頼されて作られた神社だと思っておられますと、何も見えてきません。
 メニューから、「神社の話」を選んでいただきますと、式内社の事は、3つあります。
式内社から判ること には、まだ、一つしかありませんが、全部で3000を超える式内社を、今後、一つずつ、調べることによって、式内社に隠されている不思議を 解き明かそうと始めたばかりです。

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