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東の高天原(30) 西の高天原(23)磐田原台地(21) 国分寺(16) 歴史各論 [高天原]

前回も書きましたが、タイトルに「歴史各論」と書いていますが、論文でもなんでもありません。日本の歴史を探るために、歴史の部分に目を向けて、試行錯誤しています。

 最終的には、全国の国分寺の歴史を探ることになりますが、今回は、和泉国の国分寺が、どうして、完成しなかったを考えて見ます。

当時の大和朝廷は、河内国の一部を分割して716年に和泉国を作りました。1ヶ月もしない内に、河内国大鳥郡を追加しました。しかし、740年には、和泉国の和泉監を廃止して、河内国に戻しました。24年で、計画は破綻したことになります。

 ポイントは、どうして、1ヶ月もしない内に、河内国大鳥郡を追加したかです。大鳥郡とは、どのような郡かと云いますと、資料は持合わせていません。本当ですと、一杯資料を集めるべきですが、体力と知力の欠乏で、困難ですから、持ち合わせの資料だけで、考えて見たいと思います。

 資料とは、【歴史の不思議】http://www21.atpages.jp/skeikas/ にです。他の所を見ていますと、時間が勿体ないので、式内社について書いてある所を見つけてください。

神社のおはなしから、「全国の神社と祭神名」のタイトルが見付かるまで、探してください。
 なぜ、このようなことを書くかと云いますと、一覧表をすぐに、見えるようにしますと、どなたも、チラッと見てすぐに、消されると思うからです。
 複雑な一覧表は、随分かかって、完成させたものです。これと同じものは、http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html にあるのですが、毎月、沢山支払っているのですが、新しい記事を書き込むことが出来ません。空き容量はあることになっているのですが、コンピューターの知識がないために、解決できません。
 お金もありませんので、消える運命にあります。こちらには、「全国の神社と祭神名」以外に、いっぱい書き残しました。プロからみますと、およそ、つまらないものですが、つまらないものでも、眺めているだけで、新しい発想が生まれることが有るのです。

 一例を挙げますと、
①蒜山高原の神々  http://homepage1.nifty.com/o-mino/page686.html
②隠岐島の神社   http://homepage1.nifty.com/o-mino/page211.html
 眺めているだけで、新しい発想が生まれましたか。

 生まれなかったと思います。蒜山高原に行ったことのある方ですと、「あれ、どうしてだろう」と思われたと思います。行っても、車に乗って通過されただけではなに一つ記憶に残りません。
中蒜山と茅部神社の裏山に登りますと、蒜山高原が眼下に見えます。 山を下りますと、もう一度、ゆっくり、大きな鳥居を見たくなりますから、不思議です。
http://cms.top-page.jp/p/maniwa/3/1/31/
 鳥居は、近年に造られたものですが、これを造ろうと思われた氏子のエネルギーを感じます。そうする、茅部神社の祭神の多さを説明したくなります。

隠岐島は、行きたいところの候補地ですが、金力と体力がありませんので行くことは無いでしょう。
 隠岐島は、地図を眺めるだけですが、小さな島なのに、現在でも、100を越える神社が有ります。どうして、こんなに多いのでしょう。人がいなかったのに、神社だけが多かったことは無いでしょう。
 昔から、住む人が多かったと考えるしかありません。 では、理由を探るしかありません。
 
 隠岐島の神社   http://homepage1.nifty.com/o-mino/page211.html、このページは、殆ど、アクセスが有りません。しかし、利用する気になれば、いっぱいあるのですが、利用する方法をご存じないのだと思っています。

話題・脱線でした。国分寺から、どんどん離れていました。

さて、和泉国の誕生には、大鳥郡 が関係した可能性が考えられます。
【歴史の不思議】を開いて、和泉国の式内社の一覧が出ましたら、最初の行に大鳥神社を掲載しておきました。 大鳥郡と大鳥神社は、大鳥が一緒です。どちらが先か判りませんが、大鳥郡の名前と大鳥神社とは、関係が有るのだと思います。大鳥郡のことは、ウィキペディアで確認してください。

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