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東の高天原(32) 西の高天原(25)磐田原台地(23) 国分寺(18) 歴史各論 [高天原]

本論からどんどん離れるのですが、ついでに、今回も一ノ宮のことを書きます。
一ノ宮とは、だれからも文句をつけられないように説明しますと、前回に書きましたように「一宮の起源は「国司が任国内の諸社に巡拝する順番にある」とするのが通説になっている」となります。新任の国司が赴任したときに、一ノ宮から順番に挨拶に行くのだと思っていました。

 しかし、今は、そうとは限らないなと思っています。
ウィキペディアの執筆者は、全国の一宮をすべては、行かれなかったのだと思います。

1. 原則的に令制国1国あたり1社を建前にした。
備前には、次の三社が有ります。
安仁神社 http://www.genbu.net/data/bizen/ani_title.htm

吉備津彦神社 http://kamnavi.jp/en/kibi/kibihiko.htm

石上布都之魂神社
http://mononobe.digiweb.jp/tabi/isonokamihutu/index.html

2. 祭神には国津神系統の神が多く、開拓神として土地と深いつながりを持っており、地元民衆の篤い崇敬対象の神社から選定されたことを予測できる。

  例えば、石上布都之魂神社は、訪れましたが、何故か、カーナビが誘導できなくなり、とんでもない所を走っていました。気付いて後、地図を頼りに走りましたが、この様な辺鄙な所にあるのかと心配しながら、走りました。人家はありましたが、「地元民衆の篤い崇敬対象の神社」とは思えませんでした。それだけではなく、ここは、奈良天理市にある石上神宮の元の神社ではないかと思いましたが、一ノ宮所で亡くなりました。益々、石上神宮は謎に包まれて神社だなと思っています。

 倭文神社 鳥取 http://www.genbu.net/data/bizen/ani_title.htm も山の中で、人家がなかった様に思います。

3. 全て『延喜式神名帳』の式内社の中から選定された1社であるが、必ずしも名神大社に限られていない。(異説あり。後述の「変遷と争い」を参照。)
吉備津彦神社は、式内社ではありません。 ここらも複雑です。

4. 必ずしも神位の高きによらないで、小社もこれに預かっている。
 これは、正しいでしょう。ただ、神位の高さが良く判りませんので、今、調べている最中です。
神社の社格と位階 http://www21.atpages.jp/skeikas/page273.html

   社格と位階が記録されている神社をすべて、調べますと、なにか判って来るのではないかと期待しています。


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【歴史の不思議】http://www21.atpages.jp/skeikas/   更新した日を入れています。新しいものをご覧ください。
 面白いもの---壱岐の式内社

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