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東の高天原(33) 西の高天原(26)磐田原台地(24) 国分寺(19) 歴史各論 [高天原]

最近は、歴史は、頭の中で考えただけでは解決できない様に思えるようになっています。特に、考古学だけでは、駄目だなと。
 和泉国は、一度行ってください。全部歩いてもしれている広さの国です。その国に、式内社が54社もあります。
 それよりも多い所が有ります。山城、大和、河内です。伊勢、出雲、越前。どうして多いのか、お分かりですか。次のところで、ご自分の目で確かめてください。
 【全国別式内社一覧表】http://www21.atpages.jp/skeikas/page006.html 

 眺めて頂きましたか。この表には、国の広さが書いてありません。広ければ、式内社は多いに決まっています。広くても、山ばかりであれば、少ない筈です。

 もう一度、眺めてください。
 いくら広くても、都から離れていたのでは、人が住んでいなかったでしょう。

 陸奥 は目に入りましたか。 どうして、陸奥国に、100もの式内社が定められたのでしょう。 青森、岩手県のかたですと、お近くですから解るでしょうか。 大阪の私に比べれば分ると思います。100の式内社をすべて、歩かれたら解ると思います。私には、無理です。

もう一度 眺めてください。眺めるたびに、どの国に式内社が多いのか、少ないのか判らなくなると思います。

今度は、式内社が多いではなく、面積が狭いと思われる処に目をやります。

行ったことはありませんし、地図でも眺めたことは有りませんが、隠岐、対馬、壱岐が狭いのではないでしょうか。
 と考えますと、式内社の数は多いようにも思われます。
 
納得と思われたら、早速、隠岐、対馬、壱岐 をクリックして、どの様な神社があり、祀られている神さんを眺めてください。

隠岐は神名帳に掲載されているのは、16社ですが、現在は15社が分っています。祭神は、余り馴染みのない神の名が書かれています。

対馬、壱岐の方の、神さんは 古事記に登場する神さんが目につきます。ということは、対馬、壱岐は、天皇家の人が、大陸からやって来た時に、やって来たところではないでしょうか。
 紀元前から、200年間の間にやって来たと考えています。

魏志倭人伝に、大陸からやって来たコースと国の名前が書いてあります。邪馬台国は、九州にあったとか、大和にあったとか、云われていますが、両方とも、間違っています。

次回は、続きを書きます。

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