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東の高天原(34) 西の高天原(27)磐田原台地(25) 国分寺(20) 歴史各論 [高天原]

前回の続きです。邪馬台国は 岡山県の西大寺に在りました。この説明をしていますと、一年ぐらいかかりますから、左の欄の検索の所で、「邪馬台国」と入れて検索してください。
 例えば 歴史各論 三角縁神獣鏡(112)魏志倭人伝(63) 邪馬壹国は、何所に(59)邪馬壹国(18)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2012-05-15
 ここから、17回戻って頂きますと、書いてあると思います。

 今日は別のことを書きます。
  はじめて、このページを開かれた方は、おかしいなと思われるでしょう。タイトルにある文字に関係の有るものはなにも出てきません。今日は、隠岐、対馬、壱岐に祀られている神さんのことを書くつもりになっています。
 前回は、対馬、壱岐には、古事記に出てくる神が多いと書きました。隠岐は15ある式内社には、古事記に書かれている神は有りません。(?)  有ると思っていたのですが・・・・。

 ところが、次の資料をご覧ください。
【隠岐島の神社】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page211.html
 ここに、通説として、次の文章が有ります。

 神名帳と神社  隠岐島民は、敬愛愛国の思想に富み、神社を崇敬するの風あり。古来、有名な神社多く、延喜式神名帳に掲載せられたるもの、十六座に及び、就中、「名神大」と註せられしもの、知夫郡由良比女神社(ユラヒメ)、海士郡宇受加命神社(ウズカノノミコト)、同郡伊勢命神社の四座を有し、出雲国百八十七座中、大社二座、因幡国の五十座中、大社一座、伯耆家石見の大社無きに比し、隠岐の孤島にして、十六座中、大社四座を有するは、実に畏敬と謂わざるべからず。殊に、上古は、朝鮮半島交通の要路に当り、平安朝以来は、新羅来寇の衝に当たれるを以て、屡、勅を下して、異国調伏の祈願あり。神階授与の事、亦屡、国史に見えたり。朝廷に於いては、当国の辺要防備に就きて、常に、意を用ひられたる事亦知るべし。

 これを書かれた方は、隠岐島の方でしょうか。周りの大国と比べても、一番「名神大」が多いと書いておられます。
 対馬、壱岐の資料は有りませんので、私の資料をご覧ください。
【歴史の不思議】http://www21.atpages.jp/skeikas/ の全国別式内社一覧を探してください。<神社のはなし>の中に在ります。壱岐では、やはり、4つの「名神大」が見つかります。
 
 今度は、先ほど、見て頂きました
【隠岐島の神社】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page211.htmlをすこし、下へスクロールしてください。そして、次のページに行きますと、
隠州視聴合祀に見えたる神社 と記して、神社の資料を掲載しました。
延喜式神名帳とは、別の資料になります。

同書云、下西惣社に、「隠州神名帳」と号くる一巻あり。何人の記す所になるか知らず。
されど、見るに随い之を記して、以、博覧に備ふ云々と附記せり。

とありますから、誰かが、なにかの意図が有って書き残しとも考えられますが、すべての神社に神階が書いてあるのが、驚きです。
 
 神さんの名前を 丁寧に確認してください。ここに掲げられた神社は、式外社になりますが、107社あります。

 現在の神社の一覧表もありますから、そちらもご覧ください。こちらには、古事記に出てくる神さんの名前がちらほら見えます。
 
  ここにある神社と、その前に見て頂きました式外社とは、ダブらないのでしょうか。調べていませんが、107の社に、神階を授けたのは、誰だったのでしょうか。
 「名神大」の名前まで与えたのは誰だったのでしょうか。

 誰だったにせよ、隠岐、対馬、壱岐は、日本国にとっては、一番重要だったことになります。

 これほど、凄い話は、どうして、日本の歴史界では取り上げられないのでしょうか。

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