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これからの日本(449)歴史を知らない日本人(676)どう戦うか(654) [日本の道]

 前回、「日置」は天皇と関係があることを書きますと書きましたが、関係あるどころか、、日置自体の正体が判りません。

 文献では、
 和名抄に記載された伊勢国一志郡日置郷。
 大和国葛上郡(今の広陵町を含む一帯)に日置郷が、
 和泉国大鳥郡(今の鳳町を含む一帯)には日部郷あり、堺市に日置荘ありました。
 があります。

他の文献では、
『出雲国風土記』の神門郡の条りに
  日置の郷 郡家こほりのみやけの正東四里なり。志紀嶋の宮に御宇あめのしたしろしめしし天皇の御世、日置の伴部等ともべら、遣つかはされ来て、宿停とどまりて、政為まつりごとなせし所なり。故、日置といふ。 意味は、「出雲の国の神門(かむど)郡に日置の郷(さと)というところがあって、これは郡の役所から真東へ四里のところにある。この地を、なぜ日置の郷と呼ぶかというと、昔、欽明天皇の御代に、日置という一団が派遣されてきて、しばらく、この地に駐留して「まつりごと」を行なった。そこで、この地を日置の郷と呼ぶようになったのである」

  『日本古典文学大系』の頭注によれば、この日置の郷は、島根県出雲市上塩冶町付近の地、神戸川の北岸地域とある。
 又、9世紀はじめに存在した日置(和名抄より)地名は、
鹿児島県川内市 熊本県玉名郡 山口県大津郡 山口県佐波郡 鳥取県気高郡
兵庫県多紀郡 兵庫県城崎郡 京都府与謝郡 石川県珠洲市 新潟県東蒲原郡
新潟県中蒲原郡 新潟県南蒲原郡 愛知県海部郡 千葉県安房郡

以上のところに見られます。

 
郷ではありませんでしたが、地名として、古い時代にはあり、現在もそのまま残っていると思われるところが、現在も日置という地名で各地にみられます。

読み    府県名   経度       緯度       地図名
1 ひおき  富山   137度17分  36度39分   五百石
2 ひおき  富山   137度17分  36度40分    上市
3 ひおき  愛知   136度53分  34度39分    熱田町
4 ひおき   三重   136度26分  34度39分    大仰
5 ひおき   京都   135度13分 35度36分    日置
6 ひおき  京都   135度32分 35度05分    殿田
7 ひおき  兵庫   134度46分   35度27分    江原
8 ひおき  兵庫    135度17分   35度03分    福住
9 ひおき  鳥取   134度01度   35度59分    鳥取
10 ひおき  熊本    130度43分  32度31分    来氏
11 ひおき  熊本    130度37分  32度31分    八代
12 ひおき  宮崎    131度30分  32度04分    日向日置
13 ひおき  宮崎    131度30分  32度05分    高鍋
14 ひおき  鹿児島   130度21分  31度34分    伊作
15 ひおき  鹿児島   130度21分  31度35分    長里
16 ひおき  鹿児島   130度22分  31度35分    伊集院
17 ひき  愛知   136度42分 31度34分    名古屋
18 ひき  和歌山  135度26分   31度35分     紀伊日置
19 ひき  和歌山  135度27分   31度35分    紀伊日置
20 ひよぎ  岡山  133度33分  34度37分   矢掛
21 へき  福井  135度30分   35度27分    高浜
22 へき  愛知  136度44分   35度09分    弥高
23 へき  京都  134度58分   35度19分    矢名瀬
24 へき  山口    131度04分   34度21分    山口
25 へき  熊本  130度38分   32度31分    八代
26 へき  熊本  130度42分   32度58分   熊本
27 へき 宮崎   131度30分   32度04分   高鍋
28    宮津市    135度16分   35度04分
29    篠山市  135度13分   35度36分
上の一覧表は見難いですので、<こちら>をご覧ください。

『出雲国風土記』に日置の郷(さと)には日置という一団が派遣されてきて・・・
と記されていますから、この部分は正しいことになります。 中央から、派遣されたと有りますが、どの様な仕事をしていたかは書いてありません。その集団が、100人ぐらいであれば、「村」位でしょうが、その後、長い年月が過ぎると、日置郷と呼ばれる程に、大きい集団になったことが判ります。
 もっとも、『出雲国風土記』に記されていると云うことは、713年以降に記された事になります。
 それだけではなくて、風土記で完全に残っているのは、『出雲国風土記』だけですので、この記事が正しいかどうかは断定できません。
 このように調べますと、少しずつ判るのですが、なにも見えてこないのが、日置の特徴です。

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