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小さな発見・新しい発見  式内社に囲まれた平安京(2) [神社からさぐる歴史]

 各府県の地図を見るときは、隣の府県の地図も記されています。
所が、この地図は、京都だけです。しかも、行政区の名前だけが目に入ります。
http://meijikyototemple2.web.fc2.com/newpage3kyoutohuzennzu.html

 大きく分けて、国は3つです。 丹後国、丹波国、そして、書いてありませんが、残り南が山城国です。
 書かれていませんが、天田郡の左側も丹波国です。それだけではありません。丹後国は、
713年に丹波国から分割されて誕生しています。
 
 どうして分割されたかは、後ほどに考える事として、北は、日本海です。南は、木津川を越えますと、平城京です。
 713年に分割したと云うことは、当時の行政官は、丹波と京都(山城国)は、一体として考えていたことになります。平安京が出来たのは、794年の事ですから、この時点で、現在の京都を一つの単位として把握していたことになります。
 このような広い範囲を頭の中で考える事は、当時の行政に携わる人でも無理だろうと思われます。
 と謂うことは、昔から、人と物は、日本海から、斜めの方向に、流れていたことになります。この地図の部分を一纏めに考えたことになります。

 現在の道路で云いますと、国道27号線—国道9号線---国道24号線 と続き、和歌山県まで達しています。
 こんなことは、当たり前と思われるでしょうが、この地図を見てから、現在の京都府の地図を眺めて見ました。(これまでに、何度も見ています) すると、私が住んでいる箕面市は、この地図に書いてある南桑田郡のすぐ、西に有ります。
 京都府は、近くだったことを今頃、発見です。
 私はこの4~5年は、但馬、丹波、丹後に力を入れて走ってきました。勿論、車を使ってです。所が、京都市内へ行く時は、一旦大阪へ出て、それから京都へ行きますから、京都は、奈良と同様に、遠い所です。
 おかしいものです。私の頭の中では、いつも箕面市が中心です。神戸も同じ距離に有ります。

お隣の兵庫県も、北は日本海です。南は、海を渡って、淡路島で、徳島県と接しています。
 ということは、 もう一度、頭を700年頃に切り替えますと、人と物は、日本海から、徳島県まで流れていたことになります。

 現在は、人と物は、このようには流れていません。現在の府県のままでは、行政は行い難いですが、昔のままで、政治は行われていることが判ります。

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