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小さな発見・新しい発見  式内社に囲まれた平安京(62)  日吉大社(57) 大山咋神(11) [神社からさぐる歴史]

京都に嵐電という電車が走っています。次にその路線図見て頂きます。
 嵐電路線図
 http://randen.keifuku.co.jp/railmap/
 駅が3つ見えます。其々の駅をクリックしてください。簡単な説明が書いてあります。
①帷子の辻---徒歩で、5~6分の所に、京都で一番大きい前方後円墳・蛇塚古墳があります。
②太秦廣隆寺--飛鳥時代に秦氏の子孫秦河勝(はたかわかつ)が聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、太子の菩提のために建立したのが広隆寺。
③蚕の社---別名 木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみむすびのやしろ)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/mihasira.htm

蚕ノ社と秦氏
http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/kaiko.html

 如何でしたか。これぐらい見て頂きますと、太秦の周りは、古墳、寺院、神社は、皆秦氏と関連がありそうですが、だから、平安京の建設に秦氏が大いに関わったかと云いますと、それは浮かびあがっては来ません。

大阪府茨木市に、新屋坐天照御魂神社という同名の神社が三座有ります。
http://blogs.yahoo.co.jp/itigonnusi/35371451.html

 また、三座のなかで福井が真ん中にあり、そこを起点にすると、西河原の天照御魂神社が冬至の日の出の方向に、 上河原の天照御魂神社から見て、福井の神社が、夏至の日の出の線上に位置している。

 この同名の三つの神社は、祭神が異なるのに、神社の名前が同じと云うことは、やはり、三つの神社には、何らかの意図があって、建てられたと思われます。
「新屋」とは、「にいや」と読ませていますが、「新しい屋」の事でしょう。母屋に対して、
新屋(新家)でしょうか。

 『摂津国嶋下郡 新屋坐天照御魂神社(ニイヤニイマス アマテルミタマ)三座 名神大 月次新嘗 就中天照御魂一座預相嘗祭』
とある式内社で、同名の式内社が以下の3ヶ所に鎮座している。
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hokusetu-niiya.html

三つの神社を結びますと、三角形に成るのと、地名の後ろに、坐天照御魂神社が付いているので、何か関係が有るかと探ってみました。 しかし、関係が無い様に思います。
  どれも後ら、無理に作られた神社のような気がしてなりません。

 何のためにと云うことなりますが、ニギハヤヒを復活させるためだったのではないでしょうか。
 茨木の三社は西福井にある新屋坐天照御魂神社は立派ですが、後の二つは、氏子の方が、いつもお世話をされている感じは有りませんでした。西福井が一緒に護って居られるのでは。

外に、「坐天照御魂神社」の付く神社は、次の物があります。

木嶋坐天照御魂神社  京都太秦
水主坐天照御魂神社  城陽市寺田
他田坐天照御魂神社  桜井市太田 (現在春日神社)
鏡作坐天照御魂神社  奈良県田原本町
粒 坐天照神社    竜野市

参考に
天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)
亦の名
天照国照彦天火明大神(あまてるくにてるひこあめのほあかりのおおかみ)
饒速日大神(にぎはやひのおおかみ)

 幾つか例を挙げましたが、ここに書いてある〔天照〕は「あまてる」と読み、アマテラスとは読みません。

 天照大御神とは関係ないことになります。

 現在ですと、紛らわしい商標を付けますと、違反と成るでしょうか。

蚕ノ社のことは、次回も書いてみます。

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