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小さな発見・新しい発見  7つの銅鐸発見(14) [神社からさぐる歴史]

二件、お詫び
①前々回の記事と、今日のが後先になりました。
②前回は、変な記事が入りました。
 タイトルが、「真説 建国史」です。 「新しい日本の歴史」を立ち上げますと、右端に 〔真説 建国史〕に表示されます。この部分をマイカテゴリーと呼びます。このカテゴリーのお話を書きます。

このブログは、多くの部屋から構成されています。その部屋の名前は、左の欄の<マイカテゴリー>別になっています。今回、[真説 建国史]を加えました。タイトルの右橋に書いてあるのが、現在開いている部屋の名前です。最近は、[神社から探る歴史]ばかりに書いていました。前回は、新しく記事を書きますと、[真説 建国史]の部屋が表示されますが、
マイカテゴリーで、[神社から探る歴史]を選びますと、スクロールしますと、この部屋ばかりが、表示されます。カテゴリーを[真説 建国史]をクリックしますと、この部屋だけしか表示されません。

他のカテゴリーを選びますと、その部屋ばかりが表示されます。

今日の記事は、『小さな発見・新しい発見  7つの銅鐸発見(14)』です。これも掲載の順番を間違いました。

ここからが、今日のスタートです。

小さな発見・新しい発見  7つの銅鐸発見(14)
 沢山、新聞報道が有る中で、銅鐸の年代が書いてあったのは、
朝日新聞デジタルだけでした。

弥生時代の銅鐸7個、砂置き場で発見 淡路島
http://www.asahi.com/articles/ASH5L5HNKH5LPTFC018.html
弥生時代前期末から中期初頭ごろ(紀元前3~紀元前2世紀)の最古級のものを含む銅鐸(どうたく)7個が、兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材セメント製造会社の砂置き場で見つかった。
 (紀元前3~紀元前2世紀)と云うことが、正しいとしますと、文字で書かれた資料は、一切、役立ちません。

 古事記では、高天原に居られた神から記されています。
天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。

天之御中主神、高御產巢日神、神產巢日神です。何故か、日本書紀には、この神は書かれていません。
 
次に、書かれている神の名は、國之常立神、豐雲上野神。
次は、宇比地邇上神、妹須比智邇、角杙神、妹活杙神、意富斗能地神、妹大斗乃辨神、於母陀流神、妹阿夜上訶志古泥神。

そして、やっと、口に出して云える伊邪那岐神、次妹伊邪那美神が登場します。

いい加減な推測に依りますと、前記の(紀元前3~紀元前2世紀)に該当するのは、伊邪那岐神、次妹伊邪那美神でしょうか。
 伊邪那美神には、「妹」が付いていますから、二人は、兄弟と云うことでしょうか。

朝日の記事は、次の様に、色々記されています。

銅鐸の大量出土数としては、島根県・加茂岩倉遺跡(39個)、滋賀県・大岩山(24個)、神戸市・桜ケ丘遺跡(14個)に次ぐ4番目。県教委は元の埋納場所の特定を急ぐ方針で、発見数は増える可能性がある。
 7個は青銅製で、高さ約22~32センチ、重さ約1~2キロ(いずれも一部は不明)。鈕(ちゅう)(つり手)の断面の分類によると、1個は全国で11個しか確認されていない「菱環(りょうかん)鈕式」で、6個は「外縁付(がいえんつき)鈕式」(弥生中期)だった。
 銅鐸内部につるして鳴らす青銅製の「舌(ぜつ)」も3個(長さ約8~13センチ)確認された。銅鐸と青銅製の舌がセットで見つかるのは過去に2例(3個)だけ。ほかの4個は内側に砂が詰まっており、今後舌が見つかる可能性がある。

発見された銅鐸には、舌と云うものが、3個見付かっています。

どうして、7個でなくて3個なのでしょう。
大きさが、異なると云うことは、舌がふれて、音が出る時に、すべての銅鐸が異なる音色をすると云うことでしょうか。

いろいろ考えは、拡がります。詳しい事は、その内に発表されるでしょうから、その時の楽しみとして、この銅鐸は誰が造ったのかを次回から書いてみます。



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