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真説建国史のあらまし(10) その7  12page [真説 建国史]

神武天皇の御所は大山の北麓の大山町宮内にあって、ここで皇后を迎えられた。天皇が東征で手薄になったので奴国は漢族のゲリラに占領され、このボスが57年に漢の皇帝に朝貢した。
 漢の皇帝は奴国の占領軍軍司令官に、ここのゲリラのボスを任命し、「漢委奴国王」の金印を授けたのである。この使者の船は博多湾で遭難し、金印は志賀島の石の下に隠された。後漢書では倭国に百余国あって使駅通じる国三十余と書かれている。使とは大使であり駅とは港等を指す。漢の銅鏡が出土した国が三十を数え、これは漢が国家として絹を密輸していた証拠である。米子と安来からも漢の銅鏡が出土し、これこそ倭国王に任命されたボスがおった証拠である。
 漢は107年には160人もの倭人を捕虜にして連行し、これは日本語の通訳に必要とした筈で、何十万かの水軍が瀬戸内海全域を占領してしまった。この時には漢軍の本拠地を吉備においた。吉備の巨大古墳は漢軍の将軍を葬ったものである。

 このページは、始めて開いた方も居られると思います。きっと、全部読まれて、二度と読みたく思われなかったと思います。
 
 中国の皇帝から貰った「漢委奴国王」の金印を貰った人は、日本人ではなくて、中国人のゲリラのボスだと書いておられます。しかし、そのボスは、奴国の占領軍軍司令官にしたのだと。
 田村氏は、入れなくても良いのに、「ゲリラのボス」と書きたくなるような事実を見付けられたのだと思います。
 
 田村氏の他の著書を探して見ましたが、ゲリラという言葉に当てはまるものは今の所見付かっていません。
 ゲリリは、田村氏の中国に対する怒りの言葉ではないかと考えます

 問題は「漢委奴国王」の方に在るのではないかと考えます。ここの漢は後漢の漢で、奴国は、九州の奴国ではなくて、鳥取にあった奴国ではないかと考えます。

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