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真説建国史のあらまし(10) その8  12page [真説 建国史]

 「漢委奴国王」はどのように読むかは、大きな問題だと思います。
「漢委奴国王」をキーワードにして検索しますと、
検索結果
1. 漢委奴国王印 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%A7%94%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0

https://ja.wikipedia.org/wiki/漢委奴国王印
o キャッシュ
漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、日本で出土した純金製の王印(金印)である。読みは印文「漢委奴國王」の解釈に依るため、他の説もある(印文と解釈を参照)。1931年(昭和6年)12月14日に国宝保存法に基づく(旧)国宝、1954 ... ‎来歴 - ‎外形 - ‎印文と解釈 - ‎発音

2. 金印 | 福岡市博物館
http://museum.city.fukuoka.jp/gold/

金印に刻まれた「漢委奴国王」の五つ文字からは、漢の皇帝が委奴国王に与えた印であることが分かります。そして中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれており、この「印」が志賀島で見つかった ...

おかしいですね。「漢委奴国王」で検索したのに、ウィキペディアの「漢委奴国王印」がヒットします。

 「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、日本で出土した純金製の王印(金印)である。」と初めに書いてあります。
 これでは、漢委奴國王印は、九州から出土し金印と断定した様なものです。
 
 韻文の解釈https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%A7%94%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0#.E5.8D.B0.E6.96.87.E3.81.A8.E8.A7.A3.E9.87.88

をクリックしますと、いろいろの解釈が記されてはいますが、

全部読みますと、頭が混乱するだけです。


この点が、最近、多くの言葉を検索した時に、トップにウィキペディアがヒットする点です。
「漢委奴国王」で検索したのに、ヒットするのは、

以下、沢山出てきます。 
「漢委奴国王」は出てきません。 スクロールして、探しますと、一番に出て来るのは、漢委奴国王印であるということは、検索機能が壊れていることになります。

1. 二番目が、金印 | 福岡市博物館です。福岡市博物館が二番目にヒットするのもおかしいです。

この二つを読んだ人は、漢委奴国王印は、九州の福岡市の志賀島から見付かった金印であると思ってしまいます。

初めに大きな問題と書きました様に、
①「漢委奴国王の読み方」http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/soo1105c.htm
 は読む値打ちがあります。
 そして、次のブログは、古い話で、現在では、無視されていますが、丁寧に読みますと、これも、読む値打ちがあります。

②国宝「漢委奴国王」の金印—本物? それとも江戸時代の偽作?
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_07_22.htm

どうして、この様なことを書くかと云いますと、魏志倭人伝に、大陸から日本にやってきた時に、順序が書いてあります。

 日本が近くなってきて、福岡に上陸したとは書いてありません。そのまま読んでいますと、九州を南に通り抜けているような記事になっています。

少し、読み方に無理があるように思えますが、福岡に上陸しないで、出雲の方へ向かった様に思います。
 そうなりますと、奴国は九州ではなくて、島根、鳥取になります。

奴国だけではなくて、伊都国も九州に無かったことになります。

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