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小さな発見・新しい発見 白鳳(4)元号 [神社からさぐる歴史]

元号は、天皇が亡くなられて、次の天皇が即位された時に、新しい元号が付けられたことになります。
 日本で始めて元号が使用されたのは、645年で、名前は、「大化」と名付けられました。
 ここ、数年、元号の事が気になって、どうして、「大化」と付けられたかを知りたくてなりません。

元号は、①大化(645年) ②白雉(650) ③朱鳥(686) ④大宝(701) と続きました。
 しかし、前回、紹介しました様に、<「白雉」の別名として「白鳳」が使われていた記録がある>と記されてあるブログを見付けました。

飛鳥時代に伝わった仏教が見事に開花した白鳳美術展
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-16/2015_07_31.htm
です。

このブログに依りますと、<「白雉」の別名として「白鳳」が使われていた記録がある>は、正しい様です。

ただ、私の頭の中では、これは正しく無いなという思いが一杯です。
 上記のブログは、その証拠となる物を記して居られます。

『白鳳美術展』では、645年から710年に限り、「白鳳」という名前を使いたいと書いてありました。

 展示されました多くの仏像が、全国的に作られましたから、645~710年は、美術が花咲く時代であったとの様に、捉えられていました。

次の年表を作りましたので、ご覧ください。

紀元700年前後の歴史一覧表 
645年- 中大兄皇子・中臣鎌足ら、蘇我入鹿を宮中で暗殺する。(乙巳の変) 645年 元号を大化と定める。 645年 改新の詔(かいしんのみことのり)が出された。     日本書紀に記されている。
    
649年 蘇我倉山田石川麻呂、山田寺にて自害。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%80%89%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E9%BA%BB%E5%91%82
663年  白村江の敗戦
667年  近江大津へ遷都 (中大兄皇子)
668年 即位して天智天皇誕生。
669年 12月斑鳩寺、消失。(日本書紀)
670年 4月30日、法隆寺全焼。(日本書紀)
672年 天智天皇崩御 飛鳥浄御原宮(きよみがはらのみや)に遷る。
672年  壬申の乱
689年 『飛鳥浄御原律令』前後に 二字化されていた史実
689年 『飛鳥浄御原律令』前後に 二字化されていた史実
694年 (持統八年)には藤原京に都を移す。
701年 大宝律令が完成する。 元号---大宝
707年 - 文武天皇(25)没し、元明天皇即位する。
710年 平城京に遷都する   元明天皇の時

712年 古事記編纂(元明天皇に献上)713年 元明天皇の詔により各令制国の国庁が風土記を編纂。

 根拠となるもの。
続日本紀』の和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日)の条が風土記編纂----『続日本紀』は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。

713年5月  好字二字化令
 根拠となるもの
  平安時代中期に編纂された『延喜式』の巻第二十二民部上には「凡諸国部内郡里等名 並用二字 必取嘉名」(諸国の郡や村の名は必ず2字の良い字にせよ)とある。
  但し、『延喜式』は905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった。『弘仁式』『貞観式』とその後の式を取捨編集し、927年(延長5年)に完成した[1

720年日本書紀編纂

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