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小さな発見・新しい発見 白鳳(5)元号(2) [神社からさぐる歴史]

日本で始めて、元号が用いられたのが、645年のことです。
元号ぐらい、始めようが、始めなくても、どうでも良い様に思われますが、

この元号を、作ろうと云いだしたのが、天皇ではなくて、藤原氏ですと、大事件だと思います。

ただ、645年に 改新の詔(かいしんのみことのり)が出された事が、日本書紀に書いてあるそうです。と云うことは、天皇の考えで元号が始められたのであって、私のように、藤原氏が、始めたのではない確かな証拠があることになります。

 それでも、私は、やはり、藤原氏が元号を作ったと考えています。

その根拠は、
①689年 『飛鳥浄御原律令』前後に 二字化されていた史実
②713年に、713年5月  好字二字化令
 が行われたことです。 
 ①と②は、同じ試みですが、24年も間が開いている事実です。 こんなに開いていても、必要だと考えたから、行われたのでしょう。

 証拠は、ありませんが、藤原氏は、どんどん、全国に活発に行動を拡げて行きました。まだ、調べていませんが、手の脳家の勢力の強かった所にあった地名は、この時に、還られたのではないでしょうか。
 地名は、その地方の歴史を表します。地名を変更すると云うことは、その地名の歴史を消すことになると思います。
 畿内の式内社をご覧ください。

式内社と祭神  http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page809.html
 畿内では、和泉国が、一番、式内社が少ないです。と云うことは、天皇家の支配力が強かったので、式内社は、和泉国は54社しか、指定出来ませんでした。
 青色の〔和泉〕をクリックしますと、泉穴師神社と泉井上神社があります。国名は和泉国になっています。この神社は、出来た時は、〔泉〕でしたが、その後、この辺りは、和泉国に変更された事が判ります。

〔泉〕は全国の方は、どなたでも、読むことは出来ますが、〔和泉〕になると読む事が出来なくなると思います

  〔好字二字化令〕は、地名をきれいにするようにとの達しですから、聞こえが良いですが、地名を無くすることです
 
もう一つの根拠は、
①712年に古事記が完成し、翌年、713年 元明天皇の詔により各令制国の国庁が風土記を編纂。
②713年に、713年5月  好字二字化令が行われています。

初めの〔好字二字化令〕から24年も経過して、どうして、同じ、法律を発布したかと云いますと、712年に古事記が完成したからです。

古事記に書かれている事が、正しいとしますと、古事記には、日本が始まって以来、どの天皇が、国を建設し、代々、次の天皇が、引き継いだ事のみ書かれています。日本の天皇は、誰であるかは、誰にでも解ります。
 多くの人は、古事記は神話と日本の歴史が書いてあると思っておられますが、間違いでしょう。

藤原氏は、天皇に変る人であることを日本書紀を使って書こうとしたのではないでしょうか。このような古事記があるようでは、藤原氏が、天皇の地位を乗っ取ったことになります。

古事記が無かったことになりますと、藤原氏は、日本書紀をその時、その時に応じて、書き変えるだけで、日本の歴史を藤原氏の都合のよいように、作り変えることが出来ると考えたのではないでしょうか。

 
713年の「好字二字化令」は、同じく、出された風土記・編纂に絡めて出されたと思います。

このように、見てきますと、645年に 改新の詔(かいしんのみことのり)が出されたのは、天皇が出した形にして、中身は、藤原氏が考えたのではないでしょうか。

大化という元号を作り、大化の詔を作ったことは、藤原氏の大決心の表れだと考えました。


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