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小さな発見・新しい発見 白鳳(12)  近江大津へ遷都(3) [神社からさぐる歴史]

 現在、[小さな発見・新しい発見 白鳳]とのタイトルで、書き始めたのが、12回目になっています。

7月18日~9月23日まで、奈良の国立博物館で開催されていました

開館120年記念特別展【白鳳】 
に閉館間際に、行ってきました。

聞いたことはありますが、詳しいことはなに一つ知りませんでした。
元号は、645年にはじめて、日本で採用され、「大化」「白雉」「朱鳥」「大宝」と続きます。6番目は、「和銅」です。この年代の712年には、「古事記」が編纂されたので、ご存じの方が多いと思います。
 この頃の間に、作られた仏像を開館120年記念は集められ、展示されました。

頂戴したパンフレットには、

 花開く仏教美術

 愛らしい美しい、みほとけの時代

 若々しく、愛らしい

 飛鳥でも無い天平でもない白鳳の魅力が一堂に
などの、サブタイトルが有りました。 又、多くの仏さんは、頬笑みがいっぱいの像が多かった様に思います。

 展示期間が、8/18~8/27と短かった、『仏頭』の拝観は叶いませんでしたが、購入した冊子には、大きく掲載してありました。

頭は上部は欠けて、左耳も欠けた頭だけの仏像ですが、そのお顔は、微笑んで居られると云えば、その様にも思えますが、なにか物云いだけなお顔に見えました。

[白鳳]が、元号であったことは、私にとっては、小さな発見でしたが、いろいろ調べていましたら、大きな発見になりそうだと思いながら書いています。


前回書きました様に、近江大津京 (天智天皇) と長岡京 (桓武天皇)は何か、隠されていることがありそうな[京]だなと思っています。

田村誠一の云われるかたが居られます。歴史に関しては、全くの素人の方ですが、ご自分で、発見したと思われた事は、本の形にされました。

田村誠一氏の著書
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page600.html
 に、一覧表を作っておきました。
ここに、第十九話 壬申の乱は日唐戦争 があります。

この本の中身は、一言で言いますと壬申の乱は 「皇位継承」のトラブルとされていますが、中大兄皇子は白村江の戦いの後に、唐の人に捉えられ、大津に中国人の手で、都が造られたのではないかと推理を元に「壬申の乱は日唐戦争」のタイトルになり、しました。
 大友皇子と大海人皇子の戦いであることは、100%正しいとされていますが、 実は、日本と唐の戦いであったという物語です。

その為に、都の遺跡があるようで無いような遺跡しかありません。

 遺跡は、ご自分の目で確かめてください。
遠方から行かれた方は、きっと、がっかりされると思います。 そうしますと、次に私が書くことは、ご理解できると思います。

中大兄皇子は大津京で幽閉されていたのではないかと推理しています

 このような不名誉のことは、日本書紀にも書かれませんでしたが、これは、略、間違いないであろうと思います。

 いろいろ調べたことをもとにして、考えていましたら、
天智天皇も天武天皇も、身体の調子が悪くなって、4ヶ月後に、亡くなられたという、小さな資料を見付け、お二人とも、毒殺されたという結論に至りました。

 少し無理でしょうか。

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