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小さな発見・新しい発見 滋賀県の式内社(湖北2) [神社からさぐる歴史]

 前回、書きました様に、滋賀県の湖北にある式内社を巡る為に、準備しました資料を下に記します。

少し、長いですが、コピーして、印刷して戴ければ、A43枚を同時に眺めることが出来ます。

滋賀県湖北式内社一覧

①神前神社 滋賀県長浜市木之本町石道984  
 須佐之男命 許勢小柄宿禰命  
白鳳3年5月役の小角高尾山で当社を尊崇

②大沢神社  滋賀県長浜市木之本町黒田1783
沢道彦命 (配祀)大国主命  
開化天皇58創立
       崇神天皇51年相殿に大国主命を奉祀

③天八百列神社  滋賀県長浜市高月町熊野822
八瓜入日子王命 由緒、不詳

④走落神社  滋賀県長浜市高月町馬上1181
祭神 天児屋根命

⑤足前神社(北野神社境内社)滋賀県長浜市余呉町文室1091
 祭神・由緒不明  余呉湖の北

⑥乎彌神社 滋賀県長浜市余呉町下余呉2053
• 祭神 巨知人命(おみしるひとのみこと)
• 海津見命
• 梨津臣命(なしとみのみこと)(乃弥神社)

⑦伊香具神社  滋賀県長浜市木之本町大音688
祭神は伊香津臣命。
天児屋根命の五世孫(あるいは六代孫)である。
伊香郡に居住した伊香連の祖神であり、伊香連は藤原氏と同祖

⑧比売多神社  滋賀県長浜市高月町東柳野1192
祭神 莵上壬命 (合祀)豊玉姫命 久留彌多神
由緒不詳
もとは姫塚古墳の地に鎮座
       応永年中現地へ遷
       明治9年2月村社
式内社 久留弥多神社  を合祀。

⑨意波閇神社  滋賀県長浜市高月町西阿閉278
  祭神 宇迦魂神

⑩阿加穂神社 滋賀県長浜市木之本町赤尾603
祭神  豊受比売命   
天正年間淺井氏滅亡で赤尾氏も分散
       賎ケ岳の戦乱で社殿、社宝焼失

⑪桜市神社  長浜市高月町東高田363-1
祭神 須佐之男命、木花開耶姫命、埴安彦命
当社は第五十一代平城天皇の時代に傳教大師の勧請に係ると言う。
 太古ここが湖の頃、須佐之男命が肥の川上の八俣遠呂知を退治し給ひて此の所の東の側の阿介多と言う小高い所に来臨し、剣の血を洗た御霊跡と伝わる。

⑫等波神社  長浜市木之本町田部6-1
祭神 鳥磐橡樟船尊 配祀 仲哀天皇、神功皇后
当社は等波神社と称し祭神は白鳳十三年(西紀六八四年)に神示の奇端を得て鎮座されたと伝えられる。
天明七年(西紀一七八七年)に社殿神謇ことごとく類焼し一時御神体を当字里の由常宮権現社に奉遷したが翌年社殿再興し以後明治の初めには新社殿に常宮現社の祭神仲哀天皇、神功皇后を合記

⑬ 横山神社 滋賀県長浜市木之本町杉野413
 大山祇大神 岩長比賣命 木花咲屋姫命
椙倉大明神 大音大明神 夷之宮八幡神

⑭兵主神社  野洲市五条566
 祭神 八千矛神 
社伝「兵主大明神縁起」によれば、景行天皇58年、天皇は皇子・稲背入彦命に命じて大和国穴師(奈良県桜井市、現 穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬した。近江国・高穴穂宮への遷都に伴い、稲背入彦命は宮に近い穴太(滋賀県大津市坂本穴太町)に社地を定め、遷座した。欽明天皇の時代、播磨別らが琵琶湖を渡って東に移住する際、再び遷座して現在地に社殿を造営し鎮座したと伝え、以降、播磨別の子孫が神職を世襲している。

⑮赤見神社  滋賀県長浜市高月町磯野530
祭神 広国排武金日命 春日山田皇女

⑯八幡神社  滋賀県長浜市木之本町飯浦511
  祭神  波多八代宿禰命 誉田別命 倉稻魂神

⑰ 波彌神社  滋賀県長浜市木之本町飯之浦511
八幡神社に合祀。
 祭神 波多八代宿禰命 誉田別命 倉稻魂神

⑱石作玉作神社  滋賀県長浜市木之本町千田793
天火明命、玉祖命
当社は伊香郡の式内社である石作神社と玉作神社を延宝五年(1472)に合祀したもの。千田集落の南に古字石作があり、石作神社の旧地とされる小丘があり、紅梅の老樹があったと言う。ここから勾玉、管玉、砥石などが発見されたと言う。

資料は以上です。


湖北の伊香郡には、46座の式内社があります。全て、行きたい所ですが、18座に絞りました。
 北から全部行くつもりになりましたが、木之本町木之本より北は、少ないですが、離れていますから、ここに行くだけで、午前中を要し、、半日は潰れると判断して、外しました。



18ヶ所は、地図を眺めながら、抽出しました。 これでも、全部廻れませんから、ここから、6ヶ所に番号を打ちました。
長浜ICで降りて、国道8号線を走りながら、北上するとして、目に付いた神社に番号を打ちました。

 ①は、⑨意波閇神社
 ②は、③天八百列神社
 ③は、⑮赤見神社 
 ④は、⑩阿加穂神社
 ⑤は、⑱石作玉作神社
 ⑥は、⑫等波神社
 
抽出しました番号順に回ろうと考えました。

眺めて、何に気が付いたかと云いますと、⑭兵主神社の野洲市を除くと、全部長浜市です。
 「郡」を廃止した時に、滋賀県は、住居の配分を考えたでしょうが、長浜市が、あまりにも、広すぎます。 長浜市に、どれだけの職員が居られるかは、調べていませんが、この広い所を全部把握することは無理だろうと思いました。
 住民の人数が少ないから、大丈夫と思われたのでしょう。

同じ、長浜市民の方でも、遠くの町のことは分らないだろうなと思いました。

と云うことは、隣の集落との交流は無いだろうと云うことです。 昔ですと、隣の集落とは、良い意味で対抗意識があったと思います。すると、自ずと交流がありました。

外に、何か気が付かれましたか。

比売多、波彌、意波閇、阿加穂、乎彌 です。漢字は音だけを表し、漢字の持つ意味は関係なさそうです。

 このな地名は、古くからある地名です。 阿加穂のように、三文字の地名は、二文字より、古くからある地名だと考えています。

いろいろ有りますが、今回は、賤ヶ岳をメインにしたく思いました。

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