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小さな発見・新しい発見 滋賀県の式内社(湖北5) [神社からさぐる歴史]

 式内社と祭神 
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page809.html
 をご覧ください。

全てを調べたわけではありませんが、自分が住んでいる町を中心に考えますと、東西より、南北の町同士の交流が良かった様な気がします。
 これは、どうしてかと云いますと、日本列島は、多くの場合、南北に山が走っていますから、東西には、交流がしにくいからだと思います。

この様に、考えて上記の式内社の一覧表を眺めますと、上下に、道が走っていることが分かります。
 滋賀県は、米原から、北陸道(国道8号線)と、東山道(国道365号線?)に分れます。

東山道は、余り聴きなれませんが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%81%93  の地図をご覧ください。
• 近江国(現在の滋賀県)
• 美濃国(現在の岐阜県南部)
• 飛騨国(現在の岐阜県北部)
• 信濃国(現在の長野県)
となります。
 此のうち、近江国が京都に近いので、155社で多いのですが、その内、湖北に多いことが分かります。
 
 式内社が制定された927年は都は、京都ですが、その前は、大津に近江京が作られたのは、663年の白村江の戦いの後になります。
そうであれば、大津も南の所で、式内社がおおくて良い筈ですが、湖北に多い理由が判りません。


所が、余呉の辺りが、南北に通行するのが大変だったようです。その為に、賤ガ岳を制するものが、有利になった様に思われます。

式内社は、絹を生産する村に特権を与えたと考えています。
 生産された絹は、京都・奈良・大阪で消費されましたが、その多くは、畿内でも生産していたことが分かります。しかし、山陰道では、但馬を筆頭にして、丹後と丹波から供給されたと考えます。

この様に、
 式内社と祭神 
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page809.html
を立てに眺めて下さい。
 近江国は、式内社が155社あると云うことは、特殊なことになります。

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