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近江が中心だった銅鐸の分布   35  -67- [真説 建国史]

 三木文雄氏の〝銅鐸〟に全国の銅鐸出土地が地図に示されている。これによると東は僅かだが関東でも出土し、西は北九州に及んでいる。山陰でも各地で出土し、しかも同じ一つの型から鋳造したものが畿内と山陰に見付かった例が多かった。大阪湾沿岸で作られて鳥取等に運んだと考えられる例が多かった。
 次には〝神社名鑑〟ではイザナギ(ミ)命を祀った神社は全府県にもれなく見付かった。例えば高知県でも銅鐸が出土し、ここにもイザナギ(ミ)命を祀った神社見付かる。
 これは白狄人が自由に航海し、しかも銅鐸を祭に使用し、先祖のイザナギ(ミ)命を神社に祀ったと考えてよい証拠である。
 イザナギ命は近江八幡に移られ、野洲町で葬られた。次の後継者は航海に便利な大阪を沿岸に移られて西日本全域の白狄人を支配していたと考えてはいかがだろうか。
 中山王国文物展の銅鐸よりは大きくて模様も複雑化していたこしは日本に渡来してから、一段と進歩したためと考えて良いだろう。


私のコメント
 このページの考察は、銅鐸が全国で見付かっていることと、イザナギ(ミ)命も全国で祀ってあることを指摘されています。
 全国で祀られている神は、外にもあります。下に記しておきます。どれもまだ、不完全なものばかりだと思います。

イザナギ(ミ)命を祀った所
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page154.html

天照大神を祭った神社
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page502.html

神武天皇を祀った神社
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page311.html

銅鐸の全国分布
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page385.html

田村氏は、私以上に銅鐸の出土地に行かれたと思います。 車でいきましても、これらの地を訪れることは大変でした。静岡の伊佐郡を訪れた時にも思いました。銅鐸を祭に使用したとしますと、稲作だけをしていたのであれば、これだけ全国に広がりません。 やはり、絹は全国的に作られたのではないか。その絹は、東北から日本海を通じて船で運ばれたのではないかと考えました。
 荒神谷遺跡からは、少ないですが、銅鐸が見つかっています。
http://www.kojindani.jp/iseki/

田村氏は、私よりも、ずっと沢山の銅鐸出土地を訪れ、
①大阪湾沿岸で作られて鳥取等に運んだと考えられる例が多かった。
②これは白狄人が自由に航海し、しかも銅鐸を祭に使用し、先祖のイザナギ(ミ)命を神社に祀ったと考えてよい証拠である。

まだ、研究段階でしたから、
「イザナギ命は近江八幡に移られ、野洲町で葬られた。次の後継者は航海に便利な大阪を沿岸に移られて西日本全域の白狄人を支配していたと考えてはいかがだろうか」の文章になったと思います。

 滋賀県の大きな銅鐸は、二回見に行ってきました。 一度、見に行かれて、ゆっくり時間を過ごされることをお奨めします。

僅か、一ページの文章ですが、これまでに読んだ歴史の本には、書いてないことが書かれています。

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