SSブログ

小さな発見・新しい発見 滋賀県の式内社(湖北9) [神社からさぐる歴史]

滋賀県には、式内社がどうして多いのかに対する理由を見付ける為に、始めから、第二次世界大戦の時に、滋賀県は、空襲が多かったのではないかと推理し、調べて見ました。
 調べるといっても、調べた人の成果を見るだけになりました。

 爆撃の多さは、滋賀県だけではなくて、全国に及んでいました。
少なくとも、私が住んでいたまわりでは、工場らしきものは一つもありませんでした。
 しかし、現在の伊丹空港の近くに住んでいましたから、アメリカの駐留軍のジェット機が毎日のように、自宅の屋根をすれすれに飛ぶのを経験していました。
 本当かどうか判りませんが、飛行場の周りには、多くの池があって、その水溜りは、爆弾によって出来た穴に水がたまったものだと言われていました。
 どれぐらいの深さがあるのかは知りませんでしたが、近づいては危険だからと云われていましたが、この池で魚を釣ることが、其頃の遊びの一つでした。

 全国でも、空爆の受けた所は、大きなものでは、このような穴が一杯開いたのだろうなと考えました。
 あまり、工場がないのに、どうして、これほど、全国に空爆を行ったかの疑問はありました。

 最近知ったことの一つに、 
「マッカーサーが、1951年のアメリカ軍事外交委員会で、
日本の戦争は“生存”のためだったと証言」が有ります。

http://www.geocities.jp/arikawa_sandai/MacWitness.htm

1945年8月15日に 敗戦を宣言しました。日本には、「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無い」と発言したのは、戦後、3年目だったと思います。
 
 ただ、この様に発言したのと、アメリカの国の議会で、証言したのとは、全く別問題です。
 日本は、軍国主義の国で、侵略戦争をしたと云うのは、最近、特に激しく抗議しているのは、中国と韓国です。 
 勿論、謝罪をすることと賠償金を支払う様に求めています。
 アメリカも裁判をして、日本が間違った戦争をしたと云うことは、決着がついています。
 しかし、世界の歴史上で、戦争をして、勝った方が、裁判をして、間違った指導者を死刑にした例は無いと思います。

しかし、裁判の良し悪しではなくて、「マッカーサーが、1951年のアメリカ軍事外交委員会で、日本の戦争は“生存”のためだったと証言」とアメリカの新聞に書いてあると云うことは、日本は、侵略戦争をしたのではなかったことを世界に公表した様なものです。
 しかし、この事の事実を知っていた日本人は、誰一人居なかったことが、最近も発刊された『歴史通 7月号』に渡部昇一氏が執筆されています。

この裁判が間違っていたことを述べた書物が有ります。
『パール判事の日本無罪論 』田中正明著 です。購入しましたが、まだ、読んでいません。
 パール判事は、戦勝国十一人の判事の中で、唯一人被告人全員の無罪を云った人です。


 又、話題が本筋からそれました。

マッカーサーは、「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い」と証言したと云います。
 この事実は、戦後、調べたから分ったのでしょうか。

私は日本から没収した資料の中に、絹が日本の収入である資料を見付けたのだと思いました。
 確信を持ったから、「日本の戦争は“生存”のためだったと証言」と証言したのだと思いました。
 
 しかし、日本を空爆する時は、B29からの映像では、工場らしきものは無かったと思います。ただ、戦前の調査では、養蚕が盛んであることは把握していましたから、空爆の対象にしたはずだと考えました。

 どれぐらいの絹が生産され、金額に治しますと、どれぐらいの金額になるかは知らなかったのではないでしょうか。
 
 この資料は、現在の日本政府も知らない秘密の資料だったのではないかと考えています。
 どういうことかと云いますと、正確な生産額も、その時の税収等も、誤魔化していたのではないでしょうか。
 資料がないと云うことは、当時の日本人も、「綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い」ということは、知らなかったのではないでしょうか」。

全く無いのであれば、4年間も、戦争は出来なかったと思います。戦艦も造ることは出来なかったと思います。
 きっと、日本は、どのように戦ったかと云う記録もないと思います。有れば、それこそ、もっと多くの軍人が死刑になったと思います。

こんな云加減な推理で、アメリカ軍は、空爆の対象物として、絹の生産地を攻撃した筈だと考えて、日本本土空襲 一覧表を見付けました。
 何の気なしに、岐阜県を選びましたら、桑の畠に変えた記事が有りました。

あと、続けて調べて、一つの桑の話題が出なければ困りますので、チョックしていません。
 但し、絹の生産の話は、江戸時代以降しかありません。

私が考えている絹の生産は、紀元前からのお話です。 資料は、皆無ということは絹は作られていなかったのかと云いますと、そのような事は有りません。
正倉院展にいきますと、見ることが出来ます。
 とは、いうものの、此処に有るものは、聖武天皇に関するものばかりです。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。