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小さな発見・新しい発見 滋賀県の式内社(湖北10) [神社からさぐる歴史]

  滋賀県には式内社が多い理由は判りましたか。

 アメリカは、日本のお金のある所に標準を定めて空爆をしたのではないかと推理しました。
 では、式内社のある町は、お金持ちなのかと云いますと、現在の方でも、そのようなことを考える方は、誰一人として居られないと思います。

 式内社が制定されたのが、927年です。中には、延喜式神名帳には掲載されてはいるが、現在は無くなっている神社もあります。
 きっと、此処であろうという神社は、自分達の神社は、『式内社』と大きな字を彫り込んだ、門標の石碑が建てられています。 
 1000年も掛けて、次第に大きな神社になったと思われますが、殆どの式内社は、立派です。
 私の頭は、直ぐに、立派、即、お金持ちの村、町と発想してしまいます。 もっとも、大きな神社は、昔、大社とか県社と呼ばれていたことの表示がされています。

 滋賀県に式内社が多いことは分りましたが、どうして、湖北に多いのかが判りません。
いろいろ調べましたが、判りません。

 そこで、発想を変えました。
琵琶湖の南の方では、何故、式内社が少ないのだろうと考えました。

滋賀県で知っている町の名前は、大津です。 [津]は港です。[大]とか、天照大御神とか、大王を表す「大」というように、偉大な人に付けたり、例えば、天皇が住んで居られた所にも付けられた名前だと思います。

白村江の戦いで中大兄皇子が敗れて、日本に逃げて帰った後に、都を定めたことになっているのが、近江京です。 大津京とも云われ、この事が、日本書紀に記されているのが、曲者です。

宮城の有った所は、現在では、滋賀県大津市錦織の遺跡が近江大津宮の跡とされています。行きましたが、一軒の家が建てれるような敷地に、ここがそうですという石碑が建てられていました。

徒然万歩計 http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=222
 ここに写真があります。

この周りが「大津」ですが、現在は、琵琶湖大橋の北も大津市になっています。

と云うことは、琵琶湖の西側が、古代の大津京のメインの部分ではないかと思い、今月、22~23日に、この地の式内社を歩いて来ようかと思っています。

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