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後漢書、使駅通じる国三十余国   47  -79- [真説 建国史]

日本には専従民族としてはアイヌ人がおったが次には白狄人が全国に住んで居た時代があった。又秦の始皇帝が徐福と五千人の男女を日本に遣わした。これは後で述べるが本国に帰ると誅されるのを恐れて日本に停った。
 次に大量に渡来したのが漢族である。漢の時代を書いた史書に後漢書がある。秦の国が滅んで紀元前206年には、漢が誕生した。これが前漢でこの国は一時中絶して紀元8年から22年間で王莽の時代であった。
 このあとが後漢で漢は220年には滅んだ。漢が漢民族の王朝である。中国の王朝は何れの民族の王朝だったかを知ることが日本の古代史を解くのに重要である。
 後漢書に倭国は百余国あって使駅通じる国が三十余国と書かれていた。今までは天皇と藤原が敵対関係にあったことが分らなかったために使駅を通じるの意味が誤解されていた。
 漢は日本全国に国が百余もあると日本の国勢調査まで行届いていた。漢の時代の自国の人口等は絶えず調査出来ていた国で、日本を調査する位はたやすかったのだ。


私よりのコメント----凄い文章ですね。 徐福と五千人の男女達のその後を書いた歴史は知りません。どれほど多くの漢人がやって来たのでしょう。

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