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「 汝は海原を治せ」   68  -100- [真説 建国史]

スサノオ命は伯耆の東伯郡を治める様に命令されました。原文では「 汝は海原を知らせ」と書かれている。河原とは河の中ではなくて河のほとりの原のことだ。高天原で海原といえば、倉敷平野のことである。 スサノオ命はこの命令に不服で赴任しないで号泣ばかりしていた。この時スサノオ命はすでに老令だったので、ここに落着きたかった。 イザナギ命はスサノオ命が西伯郡で勢力が強くなりすぎるのを恐れた。又東伯郡には既に漢族が東郷湖付近に進出して来て拠点を築いていたので是を征伐させたかった。この当時東郷湖は入海で従って港だった。 イザナギ命がスサノオ命に号泣の理由を聞いた所「母の国の根の堅州」に行きたいと答えたので、イザナギ命は激怒して外国に立去れと命令した。 この命令が終わるとイザナギ命は近江八幡市の多賀に移られここに宮内すななはち御所を置いて中山王国からの亡命者を支配した。

---私のコメント---
海原といえば、倉敷平野のことである。
  これはどの様に思われますか。
古くは濁らないで、「うなはら」と読み、広々とした海のことを云います。広い海の水面のようにも使います。 ここ古事記では、海を治めると翻訳したのでは、意味をなさないので、海の原、すなわち、海岸も含めて、ヒルゼン高原から日本海に降りた所、即ち、倉敷平野と翻訳しても良いのではないかと思われます。
 (高天原が九州だとされた方は、スサノオは何処を治めることにされているのでしょう。月読命も同じことです。田村誠一氏は丹波の天田郡の夜久野だと限定しておられます。古事記に書いてあることが、神話だとすると、どこでも良いことになります。もし、太安万侶が、このように書いていなくて、正確な場所を書いておれば、大江町の伊勢大神宮は存在してなかったと思います)

②「スサノオ命はこの命令に不服で赴任しないで号泣ばかりしていた。この時スサノオ命はすでに老令だったので、ここに落着きたかった」の部分は、このようには、古事記の何所に書いてあるでしょうか。
このページだけでは、このような翻訳は出来ないと思います。
しかし、別の所に、高麗村の唐王に住んでいたことが神社の資料からから解ります。

③「この命令が終わるとイザナギ命は近江八幡市の多賀に移られここに宮内すなはち御所を置いて中山王国からの亡命者を支配した」

①②③の事から、スサノオ命は、倉敷平野当りを支配するように命令されたのですが、上の様な翻訳は無理の様に思われます。

田村誠一氏は、翻訳は難しいですから、解説の積りで書かれたのではないかと推察します。

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