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因幡の白兎は神話ではなかった   81  -113- [真説 建国史]

大国主神は大きな袋を肩にかけ、80人の兄弟神と因幡の八上比売の許に求婚コンクールに出かけた。八上村の比売沼神社に八比売は祀られていた。しかしこの神社名が式内社を定める時売沼神社と改めさされたと神社の由緒に書かれていた。 八上比売はこの時に大国主神が慈悲深い方だと知って、夫に選んだのである。大国主神は不比等に取って好ましくない人物だから、この話も古事記だけである。そして比売沼神社では八上比売を連想するので、売沼神社に改めさせた。  因幡の白兎は原文を見れば何所にも白兎が登場して来ない。八岐の大蛇の神話と云われているが大蛇の字が全くなくて遠呂智と書かれていたのと同じ現象である。 莵の人が隠岐の島ではなくて現在の鳥取市の白兎海岸のすぐ近くにある岩場に取り残されていた。この時たまたまここに恐らく潮干狩に来ていた淡海の和邇邨の人を騙したのである。莵の人とは当時北鮮にあった元莵国の人で和邇村には白狄人が住んでいた。



---私のコメント---
白兎海岸は、なつかしい所です。
大国主神が住んでいた鳥取県南部町倭を出発点にして、鳥取市川原町まで、一泊二日の旅をしました。宿泊地の倉吉に到着したのは、10時廻っていたと思います。大阪を出発して、大阪に帰宅したのは、真っ暗だったと思います。 

[鳥取県南部町倭]で、地図を検索しますと、180号線の近くにあります。古事記に登場する地名は一杯現われます。


伯耆・因幡の国----立ち寄った所の写真掲載
http://homepage2.nifty.com/mino-sqaigaku/page511.html

賣沼神社 
 http://www.genbu.net/data/inaba/menuma_title.htm

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