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壬申の乱のアリバイ工作をした不比等   93  -125- [真説 建国史]

 古事記は実は推古天皇で終わっている。しかもこの天皇以前の記述も系図だけでしか書かれてなかった。これは詳細な記述があったか、全くかかれてなかったかは、今となっては知る由もない。わたしは聖徳太子等の記述がもともとから無かったとは考えたくない。  むしろ日本書紀の記述とは全く異なっていたので1263年に藤原朝臣を抹殺してしまったと考えたい。  歴史上の人物が死んだ年は衆人環視だから誤魔化しはきかない。しかし何時生まれたかは自由に誤魔化しできる。鎌足の次男が不比等で享年62才、658年生まれである。これでは、672年の壬申の乱には僅か14才である。 鎌足は享年56才、669年死亡である。これから鎌足は45才で次男の不比等を出生したことになる。次男を45才になるまで生れなかったと考えることは矛盾である。壬申の乱の首謀者でないための偽証と考えることだ。  日本書紀で不比等は全天皇の年令を誤魔化した前科があった。革命家はもぐって活動することが常識だと考えてよい。


---私のコメント---
 文章を読んでいても分り難いので、並べて表示します。

不比等(鎌足の次男)             鎌足
生れた年  658年(享年62才) 
                      死亡  669年 (享年 56才)

壬申の乱 672年   672―658=14   不比等 壬申の乱の時は、14才

以上の計算から、  <鎌足は45才で次男の不比等を出生し>は出てきましたか。

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