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素性が分らない河内の祭神   96  -128- [真説 建国史]

伯耆では式内社は6社しか無かったが、残りの神社の祭神は殆んどが古事記の神代に登場した神でこの氏子が雲南系の倭人で、倭人に君臨したのが天皇で、河内と全く異なる。  式内社には国から幣帛料が渡される以上、所在が全く分らなくなった神社の氏子ゃね神社があっても素性が分らない神を崇拝する氏子に幣帛料が渡されることになる。  河内でも、特に八尾市や柏原市、藤井寺市に式内社は密集していた。これはこの地域に住んでいた氏子は稲をつくらないでも国から軍資金として幣帛料が渡されていた証拠である。  〝大阪府神社史資料〟は全ての神社の祭神と由緒が詳細に載せてあり氏子の氏族は祭神から見当がつけられる。異民族を祀った神社にお参りするだろうか。   ここで有名な平岡神社には天児屋根命が祀ってある。又春日さまと呼ばれる神社が多かったことは神社からもここが中臣の本拠地だったことが分る。許麻神社は祭神が高句麗王だった。問題の志紀県主神社には素性が分らない神が祀られていた。

---私のコメント---八尾市や柏原市、藤井寺市は、私も大阪に住んで居ますが、自分で行ったことは有りません。古墳などの遺蹟のある所は、連れて行ってもらったことは有りますが、直ぐに、地理的なことは忘れています。

平岡神社は、自分でいったことは有ります。駅を降りますと、目の前が神社ですから、記憶に残っていますが、勉強をしないで行きましたから、詳細は記憶に残っていません。

許麻神社はこれで、「コマ神社」と読みます。 高麗も「コマ」と読みます。

神社は、http://kamnavi.jp/en/kawati/koma.htm 
で見ることが出来ます。神殿には、千木も鰹木もありません。
   この辺りは、一度歩いて来ようと思います。

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