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神話ではなかった古事記・葦原中国の平定(2) [日本の歴史]

雉の鳴女の事は、放っておくとして、
④葦原中国は、争いが絶えない (水穂国はいたく騒ぎてありなり)
 原文は次に記します。
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、伊多久佐夜藝弖此七字以音有那理此二字以音、下效此。」
伊多久=甚く  佐夜藝弖=騒ぎく でしょうか。

葦原中国には多くの人が住んでいたのでしょう。
大国主神も、その中の一人ですが、天菩比神は、大国主神と気が合ったのか、三年たっても帰ってきませんでした。大国主の外に、騒ぐ人達がいたことになります。騒ぐと云う程ですから、どちらかと言いますと、敵方の人達だったことになります。
 
 どのような人達が住んでいたかと言いますと、二つの遺跡が発掘されています。

麦木晩田遺蹟--- 妻木晩田遺跡 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/妻木晩田遺跡キャッシュ
類似ページ
妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)、あるいは妻木晩田遺跡群は、鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡。遺跡の面積は156ヘクタールにもなり、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ里 ...

青谷上寺地遺蹟Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E8%B0%B7%E4%B8%8A%E5%AF%BA%E5%9C%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1

青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)は、鳥取県鳥取市青谷町青谷にある、弥生時代の集落遺跡。
国道青谷羽合道路及び鳥取県道274号青谷停車場井手線の建設にともない、平成10年度から3年3ヶ月の期間をかけて、遺構面の面積で延べ約55,000m²が発掘調査された。典型的な低湿地遺跡で、弥生人の脳をはじめとする多彩な遺物が出土したことから「弥生の地下博物館」とも呼ばれている[1]。
外の遺跡としては、古墳が発掘されていますが、
 天照大御神の命もちて「豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂の国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ」と述べて、国の明け渡しを迫る程の相手は、大国主神しか居なかったのでしょうか。
 
古事記では、大国主神に談判したことになっています

次回、次の遺跡に検討を加えてみます。
 ①麦木晩田遺蹟
 ②青谷上寺地遺蹟

太郎さんへ
コメント ありがとうございました。 返事を書きましたが、 記号が合わないので、返事ができません。

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