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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(131)  黄泉の国(2) [日本の歴史]

黄泉の国のことは、ネットでもあまり見つかりません。太安万侶が、712年に古事記を書いた時には、太安万侶の頭には、そのイメージはあったと思われます。
 この頃に、他の人が、黄泉の国のことを書き残して居れば、黄泉の国は存在していたの問題ではなくて、死後の世界を考えていたことになると思われます。
 この頃の中国では、「黄泉の国」という言葉は使われていたと書いてあるものを読んだことはありますが、中国語が判りませんから、確かめようがありません。
 ただ、太安万侶が中国人であれば、「黄泉の国」の概略は判ることになります。

 数回前に、「黄泉の国」というような表現は、日本語として正しいのかどうかを書いたことが有ります。
 住吉大社の参道の国道26号線に近い所に、「汐掛道」と「出見の浜」のことが書かれた碑のことを書きました。
 この「出見の浜」と「黄泉の国」との使い方が似ているように思ったのです。

この「出見の浜」は、なにが出てくる浜なのかが判りません。
① 摂津 住よし 出見のはま
http://blog.livedoor.jp/mainichi_art/archives/51205197.html
②住吉 出見濱 柴莫苅曽尼 未通女等 赤裳下 閏将徃見
https://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33027697.html

③浅沢小野---浅沢神社
http://saigyo.sakura.ne.jp/asazawaono.html

 住吉大社の東南に位置します。近いですから行って下さい。浅沢神社の前に疏水があります。きっと、万葉の時代でもあって、ここの水は、出見浜に注がれていたと思います。

④出見の浜(大阪市住吉区)
http://saigyo.sakura.ne.jp/ideminohama.html  
この中に、広重の描いたこの浜の絵が収録されています。


⑤歌川広重 筆「六十余州名所図会」
http://www.mainichi-art.co.jp/pages/arcadelinks/60plus/60plus.html

広重の出見浜の図
http://blog.livedoor.jp/mainichi_art/archives/51205197.html

いろいろネットで、助けを借りようと思いましたが、解決にはなりませんでした。
 「出見」は、出たものは、月しか思い浮かばないのですが、浜辺から見て、海は西に在りますから、おかしいですね。月が出るのは、東からだろうと・・・・。

これだけではありません。広重の絵に描かれている出見浜の直ぐ、西に家の屋根らしきものが書いてあります。手前の松林の所に、高い灯籠の絵が有りますから、ここが、出見浜と思われるのに、集落が有ると言うことは、「住吉 出見濱 柴莫苅曽尼 未通女等 赤裳下 閏将徃見」の歌が作られた時と、広重が書いた絵の時代が違うことになります。

頭混乱です。

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