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紀元と元号(3) [思うままに]

「紀元と元号」のお話は、どうも面白く無い様で、読んで頂ける方が、次第に減って、前回はとうとう、22名の方になってしまいました。

 私は面白いと思うのですが、文章の書き方が良く無いのかもしれません。

今年は平成30年です。平成30年4月15日と言います。明日は、平成30年4月16日です。と言うことは、平成30年は、まだまだ続きます。

平成30年の最初の日は、平成30年1月1日です。と言うことは、1月1日の24時間は、平成30年1月1日です。次の日は、平成30年1月2日です。

と言うことは、0月とか、0日は無いことになります。 と言うことで、「時刻」が作られています。 しかし、時刻にも、0がありません。

古事記が書かれた時は、「0」の概念は無かったのでしょうか。この様に考えますと、西暦の方には、660年と言う様に、「0」が使われています。
これは、「0」という数字が存在したから使われていることになります。

西暦0年
https://ja.wikipedia.org/wiki/0%E5%B9%B4#西暦0年
西暦(キリスト紀元)には、通常は、グレゴリオ暦においてもユリウス暦においても、0年を設けない。すなわち、紀元1年の前年は、紀元前1年であり、0年や紀元0年という年は存在しない。
しかし、ISO 8601:2004や天文学における暦(英語版)では西暦0年(注:「紀元0年」ではない)を設定している。具体的には西暦1年(元年)の前年である紀元前1年を「西暦0年」とし、紀元前2年を負数で「西暦 -1年」、紀元前3年を負数で「西暦 -2年」、……と紀元前の年を1年ずつずらして用いる(紀元前100年は「西暦 -99年」となる)。

西暦0年は、存在することは解かったのですが、読んでいますと、次第に理解出来なくなってきます。

1年は365日です。これは、期間を表します。0年と言うことは、期間が0年と言うことです。期間が無いのであれば、西暦0年は無いことになります。
すると、4行前の「西暦0年は、存在することは解かったのですが」の文章はおかしいです。

 どこが間違っているのでしょうか。

本当は、数字は、1,2,3~は、存在する数字ですが、0という数字は無いことになります。
0は、無い数量を合わす数字だと言うことになります。

リンゴが3個といいますと、大きさは関係なく、リンゴが3個あることを表します。りんごが0個ありますとは、言わないで、りんごは、有りませんと言います。

「0」という数字は、どうして、使われる様になったのでしょう。

古事記では、0は使われていませんが、数字は使われています。

天地初發之時、於二高天原一成突名、天之御中主突。【訓高下天云阿揺下效此】筱高御籥厥日突。筱突籥厥日突。此三柱突隅、
 この部分の「此三柱突隅、」の部分です。
 三人とは書かないで、神ですから、「三柱」と書いています。

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