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記紀(7) - 日留山人 - [日本の歴史]

日本の古代史を、わたしは地名をたよりに考えて来た。しかも地名の一つを取上げるのではなくて、地名のパターンを考えて来た。
 古事記や日本書紀に、2000年昔の地名が出てくる以上、この時代に人が多く住んだ所には地名があったと考えてよいだろう。
 最近津軽平野から、1900年の昔の、水田跡が見付かった。
 わたしはこの平野にも、神武天皇が、稲作民を、雲南から、計画的に入植させてきたと述べて来たのである。
 わたしの根拠は、この十三潟に福浦の地名があったことである。しかも潟すなはちデルタ地帯であった。
 次には、田の着く地名の村が実に8ケと稲垣村が、津軽平野にあったのである。
 神武天皇が計画移民をされたと、推理した。
この天皇は実在した根拠は、古事記だけに書かれた、青春時代の地名が、全て現存していたのが根拠である。
 古事記を正史とする理由の一つである。



 第13話 建国の日は正しかった  91ページ より 引用。


私からの一言
 津軽平野にある僅かの地名を記しておられますが、是非、皆さんも地図を広げて、
地名探しをしてください。





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